新時代家族  ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~

 

平成三十年四月(初版)

総務省 未来デザインチーム

目次

序章  1ページ

第一章 世界と    6ページ

第二章 故郷と    15ページ

第三章 友達と    21ページ

第四章 地域と    30ページ

第五章 過去と    37ページ

第六章 家族と    45ページ

終章  53ページ

あとがき  57ページ

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序章

  この仕事をしていると、ごくたまに、青く光る目の中に飛び込んで中を探検してみたいと思うことがある。

  子供のころに海中水族館に連れて行ってもらったとき、丸い窓に手と顔をべたーっとはり付けて外の海を眺めていた感覚と似ている。

  太陽の光に反射して銀色に輝く魚たち、彩り豊かな珊瑚礁。それに、自分がまだ知らない生物がいると思うと好奇心をかき立てられるという気持ち。

  でも、私の目の前にある「青いもの」はもちろん海ではない。しかし、海と同等、いや、それよりもずっと広大で、秘めたる可能性を持っていて、人には理解し得ないであろう進化を続けている。それも海の生物の種類が増えることや、海底の形が変わっていくよりも遙かに早く。

 

  いったい、「彼ら」はどこに行くのだろう。何をするのだろう。ある程度予想はできるが、それが限界では決してないだろう。

  なんだか、ちょっと笑ってしまう。

  人は自分で水槽を作って魚を泳がせ始めたにも関わらず、今ではその底が見えなくなっているんじゃないかと。

 

  魚の絵が描かれたマグカップのコーヒーを飲み干し、軽く水で濯ぐと、再びドリンクサーバーのカップホルダーに置く。

  ちょっと迷った後、緑茶のボタンを押した。

 

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  「多機能対話型学習AIロボット」の製造には、人間による起動テストと会話テストが必須の工程とされている。どこかの役所がそういうことにしたらしい。ロボ工場の従業員にしてみれば、その役所の下請けが作ったらしい試験要領に沿って淡々と作業を進めるのみだ。

  仕事と割り切ってはいるけど、こんなに便利なロボットとAIなんだから、会話テストだってAIとやればいいのにと、ぶつぶつと呟く。少なくとも、この道数十年のプロというわけでもない普通の人間よりは正確かつ早くテストが終わりそうなものだ。

  仕切りのガラスにはテストの進捗がリアルタイムで表示されている。その向こう側には、高齢だがまだ健康そうな男性が腰掛けていて、お茶を飲みながら開発部から回されたAIロボットの製造指示を眺めている。思えば、数年前までは自動走行車工場の生産ラインロボだとか、スーパーマーケットの商品補充ロボだとか、いわゆる工業・商業用がほとんどだったが、ここ最近は一般家庭用の家事全般ができる人型の多機能ロボの生産が増えている。とうとうAIロボットが家庭にまで入る時代に、人に寄り添って暮らす時代にまで来たかと。時間の問題だったが、いざそういう社会が近づいてみると何やらもどかしい気もしてくる。

 

  「ん~、この子はオッケー!」テストルームにあるイスから伸ばした両手が現れる。背もたれが大きく倒れ、上下が逆になったしかめっ面の女性の表情からは、声を発さずとも「めんどくさい」と聞こえてくるようだ。

  「はぁー。なんでAIが自分で全部やってくれないんすかねぇー」

  「リンちゃんもこっち来てお茶飲むか?全自動栽培ものの茶葉一〇〇%だぞ」

  青々とした美しい茶畑をバックに、名前は忘れたが若者に人気のタレントがお茶を飲んでいる広告がドリンクサーバーに表示されている。昔、四~五〇人くらいのアイドルグループが好きだったなぁなんて思いながら見ていると、すぅーとガラスのドアがスライドして開く音がした。

  「もー! 休憩! タカさん、一〇分くらい外します! あ、お茶もらっていきまーす!」

  「はは、一緒にお茶しようと思ったら振られちゃったか」

3

 

  「さーてと、次はどの子かなっと!」

  休憩から戻りお茶が入っていたタンブラーを傍らに置く。イスの背もたれを元の位置に戻して両頬を軽く叩く。テストルームにはまだまだ多くのロボットの個体があるという現実を前に自らを奮い立たせると、火が入ってないロボットの空虚な目と再び向き合う。

  「防水防塵耐衝撃試験の問題はなし。家事一般の動作テストの挙動も問題なし。人類の心理・会話・行動データパックも最新型をインストール済み、と…」

  すでにAIによる製造ライン監視をくぐり抜けてきた良質の個体だ。そんな粗は見つかるはずも無い。だが、生活に密着するロボットだ。何かあったらまたロボットに対する批判が噴出するかもしれない。こんなに便利でありがたい存在なのに使いづらくなってたまるかと思えば、それなりに真面目に取り組む気になれる。

  認証を受けた製造工場のテストルームにしかない特殊なシステムでないと、AIロボットのメンテナンスモードは立ち上げることができない。休憩前まで何度となく繰り返してきた動きと同じように、正確かつ効率よく出荷前の従業員テストモードの行程を進めていく。

  「おはよう。わたしはリン。テストモードの間の数分間だけの付き合いだけどよろしくね」

  「おはようございます。私はFDシステム社製多機能対話型学習AIロボット製造番号DPSI―5735です。よろしくお願いします。リンさん」

  「…うん。ちゃんと認識できているみたいね」

  世にある対話型ロボットにはみんな固有の名前が付けられている。利用されている現場ならば各々の名前を名乗るだろう。購入後に必ずユーザーが設定することになっており、ユーザー(または家族、企業であれば管理担当の職員など)の声で命名してもらう。ユーザー登録のようなものだ。

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今はテストなのでこういう名乗り方になるのだが、いかにもロボットっぽい一面を見ている気がして、このモードを設定した人は昔のSFが好きなんじゃないかと思うことがある。現に、昔の映画でよく見た金色の翻訳ロボットと同じ名前を設定した年配の方を複数人知っている。憧れが現実になってうれしいのはわかるが、クラシック映画の設定じゃこの時代の子供達には受けないかもしれないな。

  動作確認テストとはいえ、ただ動かすだけではもったいない。何かやってもらおう。手元のデバイスに表示されているテスト実施要領には「こんな問いかけをしてみましょう」という記載の下にごくごく基本的な動作を要求するような質問が並んでいる。「そこのソース取ってくれないか?」というのもあるが、さすがにコロッケ定食を食べながら仕事をする程熱心ではない。というか、何だこの質問は。マニュアル作成者のロボットのイメージがわからないし、テストの現場をどこだと思っているんだ。

  「もー!  こんなしょうもないこと書いてあるんだからまったく…」

  「お疲れのようですね。タンブラーにお茶のおかわりを入れてお持ちしましょうか」

  さすが、というかもはや当たり前だが、私の表情や言葉、目(カメラ)に入る映像から得られる情報から提案してきた。これができればテストは問題ないだろう。

  「緑茶にはテアニンというアミノ酸の一種が多く含まれていまして、リラックス効果や疲労回復にも…」

  「わかったわかったわかった!ありがとう!お願いするわ」

  「かしこまりました」

 

  「タカさーん、本日分のチェック終わりでーす。私はもう出るので、何かあったらメッセージ送ってください」

  「はい。お疲れ様―」

  ロボットがお茶をドリンクサーバーに取りに来たのは何時間前だったか。気がついたら終わったようだ。テストルームのライトが消え、リンはコートとバッグを小脇に抱えながら部屋を出て、足早に自動運転バス乗り場に向かっていく。小学生のやんちゃな子供が可愛くて仕方ないらしい。

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  デバイス片手に子供にメッセージを送るリンが出て行くのを見送ったあと、ふと、休憩前のリンの愚痴が頭をよぎる。

  「全部AIがやる世界か…」

  平成の時代が終わってから何年が経っただろうか。かつては自分もAIやロボットが普及する礎を築くために汗をかいたものだ。確かに技術は目覚ましいスピードで進化した。例えば、今勤めている工場のような製造ラインの仕事はロボットが作業に当たっている企業がほとんどだ。なにせ、製品のエラーや従業員の事故が圧倒的に少ない上に作業も早い。

  これから出荷されるAIロボット達もどこかで誰かの生活の助けになるだろう。ロボットに限らず、AI制御による各分野の自動システムのおかげで人間の暮らしは大きく変わった。やろうと思えば世の中の出来事すべてAIが管理する時代も空想の世界の話ではない気がする。

 

「…でも、最後の最後に、責任ってやつだけは相変わらず人間にあるんだよなぁ」

  何かを思い出すように少し顔を上げて、そして、目の前に浮かび上がっている「製造番号DPSI―5735」の最終テスト結果を確認し、承認を出した。

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第一章 世界と

 

この章に登場する未来の姿

 

あらゆる翻訳

目や耳が不自由でも、外国語が苦手でも、自分の選んだメニューで会議の内容を翻訳して自在に伝えるシステム。

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三つ星マシン

各地の素材を使いつつ、個人の健康状態も加味しながら、家庭や有名レストランの味をAIが正確かつ高速で再現。

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どこでも手続

24時間受付のネット窓口が当たり前となり、画面をさわると現れる忠実で有能な執事ロボが、お役所イメージを刷新。

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らくらくマネー

支払は完全キャッシュレス。購買履歴の作成や信用データの形成も自動化でき、家計管理・借入れや各種申告も簡単に。

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  「面接は以上となります。結果は追ってお伝えします。本日はありがとうございました」

  「Terima kasih banyak(ありがとうございました)」

  軽く息をつき、同席していた上司にもお疲れ様でしたと軽く会釈をした後、ふとオフィスを眺める。

  (入社したときからは随分と変わったもんだ)

  ケンスケはそうひとり心の中でつぶやいた。労働力人口減少の解消策として、多くの企業が外国人労働者の積極的な雇用に踏み切った。ケンスケの会社も国際色あふれる光景が広がっている。外国人労働者の受け入れを加速化させたのが、自動翻訳技術の飛躍的向上だ。義務教育以降の語学に真剣に取り組んでこなかったケンスケであったが、自動翻訳技術によって何不自由なくコミュニケーションをとることが出来ている。

  「東アジアに、東南アジアに、中東に、アフリカと、あとそれから日本人」

  確認するように今日の面接者を指折り数えた。面接の目的は、東南アジアでの通信インフラの整備プロジェクトに必要な人材を、プロジェクトリーダーとして採用することであった。面接は、日本語を話すケンスケ、英語を話す上司、そしてそれぞれの母国語を話す面接を受けに来ていた人たちなどの様々な言語が飛び交うが、翻訳デバイスを通すことで、タイムラグはほぼ無しに、あらゆる言語に翻訳される。他にも、履歴書などの文書をカメラが付いたアイウェア越しに見れば、あらゆる言語に翻訳されてレンズに表示される。さらに、多言語翻訳にとどまらず、バリアフリーを見据えた機能も搭載している。聴覚に障害がある人には、相手が話した内容を、タブレット上に表示し、視覚に障害がある人には、音声で聞こえるようにすることも出来る。まさに「あらゆる翻訳」である。

  ケンスケの勤める会社でも体の不自由な人が数多く働いているが、会社の経営陣がVRで障害を持つ人々の世界を疑似体験することでオフィス内の問題点を洗い出しバリアフリーを徹底して進めてきた。

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その結果、言語だけでなく、あらゆる場面で障害を持つ人々にフレンドリーな企業として世界的に有名になり、今では世界各国から入社希望のエントリーが届くようになった。

 

  「よしっ。じゃああとはAI様にお任せしてっと」

  面接の所感を、業務用タブレットに保存し、AIによる分析も踏まえて採用可否を判断していくことになる。ケンスケが就職活動をした時は、確認に確認を重ねるかのように採用プロセスがとられていたが、今は面接用AIが登場し、評価の部分も担うようになることで、そうした確認作業はあまり意味をなさなくなり、随分と人事部門の働き方も変わった。面接用の専門AIは何十万、何百万人もの人間と面接を重ねることで精度を高めている。

 

  「お疲れさん。良さそうな人材はいたか?」

  自席に戻ると、隣の席には商品開発部で働く同期のアンディが陣取っていた。ちなみにアンディは幼い頃から日本アニメに惹かれ、日本語が堪能であるため、ここでは「あらゆる翻訳」の活躍は不要だ。

  「おう。現地の状況をよく理解していたよ。この人材たちは一体どこで、って上司も満足している感じだったよ」

  「そうか、良い収穫がありそうだな」

  そう話す二人だが、周りは閑散としている。会社に来なくても、遠隔でセキュアに仕事ができるようになってからというもの、通勤の手間を厭う勤め人は仕事の場を会社の外に求めた。会社のスペースは大きく減り、出社した人間は部署問わず固まって席に着いている。それぞれ出社の理由は様々だ。ケンスケは家庭以外にそこに行けば自分の居場所が用意されているという安心感が欲しかった。気さくで人当たりが良いアンディは、会社に来て社員と会話することが楽しいそうだ。

  アンディは椅子に座ったままこちらに身を寄せてこちらと肩を組み、耳打ちしてきた。

  「今日の昼、ユイと飯食べるんだけど一緒に行かねぇ?」

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  「久しぶりだなあ、ユイ。行く行く。場所は?」

  「この前AIが拾ってきた記事に載ってた店。美味いらしい」

  「分かった」

 

  昼休みを知らせるチャイムが鳴るや否や、アンディと社外に飛び出す。

  店の入り口で端末をかざし、店内に入ると、奥のテーブル席にはユイが先に座っていた。

  「よっ、『社畜』諸君、元気にやってる?」

  人口減少の余波は外国人労働者の積極的導入だけでなく、副業の積極的な推進にまで及んだ。自分の時間を切り売りして働く人も増え、企業人という概念も薄れつつある。会社に残る同期も減った。ユイもそうした副業の割合が増えた結果、会社を辞めた一人だ。

  「俺らは一人の人しか愛せないんだよ。な? ケンスケ」

  「四〇過ぎて独身のお前に同意を求められたくねぇよ。ユイ、お前だって集団面接の時、『この会社の社風に惹かれました。』とか言ってたじゃねぇか」

  「よくそんな昔のこと覚えてるね。だって、今の方が稼げるんだもん。さっ、ご挨拶はそれくらいにして、早速注文しよ。ここ私も来たかったんだ」

  「今日のお勧めは?」

  ケンスケはテーブル上に置かれたスピーカーに声をかける。

  「今日は大和鶏がおすすめです。魚は大分産のアジが入っています」

  「んー、じゃあ肉の方で。ご飯は大盛りで」

  スピーカーにしゃべりかけたところ、ケンスケの個人用端末から女性の声がした。

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  「旦那様。最近不摂生な生活が続いておりますので、ご飯は普通にしてはいかがでしょうか?」

  ケンスケの個人用の端末に入っている自分用のAIが助言をしてくる。

  「いいの、大盛りで」そう端的に告げる。

  「うわー、ケンスケってば奥様いるのに自分のAIに『旦那様』って呼ばせてるわけ? ちょっと引いちゃうなー」

  ユイがふざけて軽蔑するような眼差しを向けてくる。その様子をみたアンディもポケットから上機嫌な表情で自分の端末を取り出し、ひょろりとした体格で赤いジャケットを着た男性が映った画面を見せつけてきた。どこかで見たことのあるキャラクターを真似して作られているようだ。

  「俺はAIに『とっつぁん』って呼ばせてるぜ」

  それはそれでどうかと思う、とユイは嘆息してから、自分の端末を手に取った。画面を見つめ、一瞬表情を緩めたのちに、自慢気に二人に画面を見せびらかせてきた。

  「やっぱ、癒やしをくれるのは動物でしょ。見てよこれ、うちのワンちゃん。かわいいんだ」

  ユイが示した画面には、銀色の毛並みで凜々しい顔立ちをした犬が映っていた。今や誰もが端末に自分用のAIを持ち、自分の思い通りにカスタマイズされている。ケンスケのAIも半日かけてキャラクリエイトして作り上げたものだ。

  自分たちのAIを紹介し終えたところで、各々の端末をテーブルの上に置き、向かい合わせる。こうすることで、AI同士も「会話」をはじめるのだ。「会話」といっても、例えばアンディのAIがこの店の記事を拾ってきたように、それぞれのAIが持ち主の趣味嗜好に合わせて拾ってきた記事や情報を端末同士の無線通信で共有して、話題や流行、トレンドの情報を並列化・高度化している。それでいて持ち主のパーソナルな情報は漏らさないところはしっかり設計されている。

  こうしている間、厨房ではロボットたちが料理を作っている。この店では、家庭的な料理から一流シェフが作るようなレシピまで、さまざまなメニューを持ち前の精密動作で再現するAIコックが調理している。

 

  「でさ、この前、甥っ子が実家に彼女を連れてくるって連絡があってさ」

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  料理が運ばれてきたところで、ユイがパシャパシャと写真を撮りながら切り出してきた。

  「でね、行ってみたらその彼女がヒューマノイドだったわけよ。もう、これが甥っ子の趣味全開。姉に彼女を紹介してきた時の状況聞いたんだけど、姉の旦那は腰抜かしてたって」

  「へぇー、今の若い子ってそこまで来てるの?」

  ケンスケが驚きの声を上げる。

  「ああ、そういえばうちの会社の若い子もそういう子いるとか聞いたわ。あんまり公言はしてないみたいだけど」

  アンディがふと思い出したように漏らした。

  「マジ?」

  ケンスケは思わずアンディの方を振り向いて尋ね、アンディも「マジ、マジ」と応じた。

 

  料理を食べ終わったころに、端末がメッセージの受信を知らせた。宛名を見てみると妻のサトミからである。

  【キヨタカとハルカの予防接種の予約、忘れてないよね】

  (忘れてた)

  「すまん、ちょっと席外す」

  食後のコーヒーを楽しむ二人に断ってからテーブルを離れ、端末からAIを呼び出す。

  「キヨタカとハルカのインフルエンザの予防接種の予約を頼む。できれば今度の土日の近場の病院で。あと、役所への医療費助成の申請も一緒に頼めるか?」

  「旦那様の御意のままに。個人IDの情報を役所と医療機関に提供してよろしいですか」

  「もちろん」

  ここまでやっておけば、あとはAIがバックグラウンドで役所のシステムにアクセスし、住民票の情報を取得して申請様式を埋めてくれる。

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必要な作業は最後に承諾ボタンを押すだけだ。そのため、役所窓口は今や基本的に二四時間三六五日アクセス可能で、わざわざ出向く必要も無い。最後に役所に行ったのがいつだったか、記憶がおぼろげですらある。これでサトミに怒られることもないと、一安心して席に戻ると、二人はコーヒーを飲み干し、店を出る準備をしていた。

 

  「すまん、待たせた」

  「じゃ、出よっか。流石と認めざるを得ない味よね。切る焼く煮るくらいはロボットならお手のものと思ってたけど、デザートのケーキのスポンジのきめ細かさとクリームのなめらかさ。あれは普通の人間には真似できないわ」

  「お嬢様。本日のランチの摂取カロリーは八〇〇キロカロリーでございます」

  会話を遮るように、ユイの端末がやや渋めの声で知らせてくれた。どうやらユイが写真をしきりに撮っていたのは、記録用と言うよりは摂取カロリーの計算をしてもらっていたようで、その結果が出たようだ。

  「『お嬢様』とか、ユイ、お前も大概だな」

  ケンスケはアンディと目を合わせて苦笑した。ユイはややバツが悪そうにしきりに照れていた。

 

  三人で店の出口までの少し長い廊下を歩く。 壁にはモンサンミシェルの写真が投影されており、フランスの街並みを満喫していると、ピッと電子音が鳴る。このエリアは支払いエリアであるが、それを意識させることなく通過することで自動的に決済が行われる仕組みだ。支払い内容は自分の端末に表示されるようになっている。現金は端末に履歴を残さないでプレゼントなどの「秘密にしたい消費」をしたいときに使うようになった。今は、そろそろ来るサトミの誕生日にサプライズをするべく、現金は手にする機会があるごとにこっそり貯めている。

 

  ユイと別れてから移動中、端末を確認するとさきほどの予防接種の申請様式がもう出来ていた。問題なさそうなので承諾ボタンを押す。サトミにも「やっておいたよ」と用件を端的に伝えておいた。

 

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  会社に戻ると、面接用AIからさきほどの面接者たちの評価が終わったとの通知が来ていた。

  「三人目の方が優秀であると判断しました。これまでのキャリアにも偽りがないようですし、冷静さと自信が見て取れました。蓄積された過去の面接者のビッグデータからも上位三割の能力を有していると思われます。あとは一人目の方か五人目の方でしょうか。三人とも採用してもよろしいかと思います」

  AIは面接者のバイタルや視線の動き、声の調子も合わせて評価しているようだ。

  「一人目よりは四人目の方がコミュニケーションもかみ合っていたと思うんだけどな」

  AIにメッセージで反論してみる。

  「四人目の方も悪くはないのですが、やや勇み足過ぎるきらいがあると考えます。また、私が考えるこのプロジェクトの重要性を考えると、情報の整理力や分析力において、少し力不足感があると思います」

  そんなやりとりを続け、

  「じゃあ、報告資料をまとめておいてくれる?」

  AIとのメッセージを終える。

  「あとはAI様の御意のままに、上に判断仰ぎますか」

  ただちに、AIが最終的な採用案をまとめ、上司への報告を行ったが、AIの判断には特に異を挟むつもりはないようで、この採用案で進めることとなった。

 

  その後、面接者への通知準備や採用者の契約手続の準備を進めていると空に茜が射してきた。時計を見ると一六時半過ぎだ。今日は朝型の勤務をしたので、ここらで仕事を切り上げることにする。

 

  家に到着し、玄関を開けると、ハルカが「パパおかえり」といいながら出迎えてくれる。

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ハルカは昨晩から熱を出して今日保育園を休んだがもう元気いっぱいの様子だ。

  夕食、そして家族との団らんの後、テーブルにはケンスケと妻のサトミ、そしてAIロボットのアイコ。夫婦のお互いの決め事として、大事な話の時にはアイコを同席させるようにしている。アイコも積極的に発言はしないが、発言を求めると客観的なコメントをしてくる。

  今日のお題は家の購入である。今の部屋はハルカが生まれる前から借りているものであり、ハルカもだいぶ大きくなって手狭になってきたということで、そろそろ家の購入も視野に入ってきている。

  「自分用の書斎があったら、家で仕事するようになって家族と過ごす時間がもっととれるようになると思うんだけどな」

  家族会議の冒頭、ぼそっと要望を告げてみる。

  「はいはい。そういってやったとこ見たことないわよ」

  「いやいや本当にそう思ってるんだ。こんなにもAIが仕事を代替する時代になると、若いときには想像つかないくらい自分に余裕が出てきて、考え方も変わってきたって実感するよ」

  ケンスケの言葉を聞いて、サトミはうれしく思った。その気持ちは素直に出せずにサトミは会話を続ける。

  「でもまずはハルカの個室でしょ、それからもう少しリビングを大きくしたいかな。あ、そうそう、あとはアイコが広いシンクのついたシステムキッチン欲しいって言ってたわよ」

  「嘘付け」

  「そんなことないわよ。もっといいキッチンならアイコも料理美味しく作れるわよね?」

  「…」

  「ほら。アイコだって反応しないじゃないか。まあいいや。部屋のことは今後詰めていくとして、結局のところうちがいくら位の家を買えそうか試算してみるか。アイコ、頼むよ」

  「わかりました。それでは、この一年の収入及び購入履歴を指定の銀行に送信してよろしいでしょうか」

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  「ああ、もちろんだよ」

  アイコが自分とサトミの端末からそれぞれの購入履歴を、個人IDから収入の情報を取得してまとめて指定の銀行の融資システムに送信する。最近では収入だけでなく、大きな買物を中心に支出も提出することになった。「自分がちゃんとした経済活動を行っている人間である」ということを示すために、些末な支出情報であっても銀行に提出し、融資AIに判断してもらうのだ。融資可能額の判定を受けて、ひとまず今日のところは会議終了。アイコにも良さげな物件をピックアップしておくようにお願いし、寝室に向かった。

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第二章 故郷と

 

この章に登場する未来の姿

 

お節介ロボット

目覚め・歯磨き・着替え・朝食などの忙しい朝支度をスムーズに準備させてくれるお節介な手伝いロボット。

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職場スイッチ

複数の仕事に就き、時間の切り売りで個人の能力を最大限発揮。家でもカフェでも、スイッチ1つで切り替わるバーチャル個室で効率サポート。

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  アイコがドアを開ける音でサトミは目覚めた。

  「よしっ」

  勢いよく起き上がると、そそくさと支度を始める。

  「今日は、出社日だったか」

  続いて起きてきたケンスケがそう言いながらリビングへとやってきた。

  「ええそう。あれ、あなた昨日得意気にコーディネートしてたネクタイと違うけどどうしたの?…まあいいか」

 

  「朝食をお持ちしました。キヨタカさんも間もなくやってきますので召し上がり下さい」

  アイコは朝ご飯を運んで来るとともに、キヨタカの様子も教えてくれた。

  「ありがとうアイコ。出社日にこうして家事を手伝ってくれてほんと助かるわ」

  育児や多種多様な仕事をこなすサトミが、心に余裕をもちながら全てをこなせているのは、三年前に我が家に来た「お節介ロボット」、アイコのおかげ。家事全般をサポートし、家族を支えてくれている。

  「本当だよな。先月だったか、すごい暑かった日あっただろ。俺が一番早く家に帰って来た日だったけど、家着いたらエアコン効いててさ。誰だよつけっぱなしで出かけたのって思ったら、アイコが付けてくれていたんだよね。俺の端末を通じて外出先からそろそろ戻るのがわかっててやってくれたんだよ。アイコに助けられたよ。やっぱり学習していくんだな。いつか俺たちなんかより賢くなるのかな」

  「でもあなた、最近端末のAI変えたじゃない」

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  アイコがいる傍で、サトミが迷惑な突っ込みをしたところで、リビングにキヨタカがやってきた。

  良いところに来たとばかりに、ケンスケはキヨタカに声をかけ、話しているようだ。その一方でサトミは、ハルカの体調についてアイコに相談をする。ハルカの今朝の状態を確認し、体調がまだ回復していないので今日は保育園を休ませること、一日面倒を見ることをアイコに指示を出した。

  「お昼ご飯は消化が良くて栄養価の高いものを食べさせてね」と最後に付け加えてリクエストした。

  好物は分かっているので、おいしく食べられるものを考えてくれるはず。

 

  「じゃあ行ってくるねー」

  準備を終えたサトミは、ハルカの体調が心配であったが、時間も迫っていたのでそこはアイコに任せ家を出発した。

 

  なんとか時間通りに出勤。早速開発担当のチェンに声をかける。

  「おはよう。昨日『職場スイッチ』から確認させてもらった、新製品の相撲稽古特化型ロボット『Doすこい太郎』だけど、旧型の『はっけYOHいち』と対決させてみようか。『Doすこい太郎』が勝てば問題ないってことで進めましょう」

  「わかりました。『はっけYOHいち』にも思い入れがあるので、番狂わせを期待します。投げる用の座布団、一応持ってきますね」

  「良いけど、そしたら開発失敗って事だからね…。なあに言ってんだか」

  「そうでした。『はっけYOHいち』には酷ですが、今日が断髪式ということになるわけですね」

  こんなことを言っているチェンだが、一年のうち大半は海外を転々として暮らしている。プロレスや総合格闘技などの分野において海外で開発されているトレーニング用ロボットを調査し、相撲のレベル底上げを狙いとした相撲稽古特化型ロボットの開発プロジェクトに還元できるよう尽力している。この日は、日本で暮らす息子の誕生日であったため、帰国していた。

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近年は、このように特定の場所に定住しない人たちがますます増えているが、チェンは税金も収め、社会保険にも加入しているれっきとした「国民」だ。

  「二人とも縁起の悪いことを言っているなぁ」

  横から開発担当の先輩であるユウイチがツッコミを入れる。

  サトミの勤め先は、AIやロボットの、設計・製造、販売、設置、運用・保守のライフサイクル全体に携わっているロボットメーカーだ。もともとインドの小さなロボット製作会社だったが、いまやこの業界では世界最大の企業となり、サトミはその日本支社に勤めている。昔から機械いじりが好きで、設計がやりたくて入社したが、「設計から運用、さらにはその機器が社会にどんなインパクトを与えるか、それを考えるのがデザイン」との創業者の思想のもと、設計から運用まで、全ての部署を経験し、いまではそれらの部署を統括する部署にいる。

  この相撲稽古特化型ロボットのプロジェクトはユウイチのアイデアから始まった。ユウイチは現在八〇歳になるが、以前勤めていた保険会社を定年退職後に、スキル転換支援制度を活用して大学に通い始め、ロボット工学を専攻したらしい。

  その後、今の会社に入社し、昔から好きであった相撲にロボットを活かせないかと考え、旧型の『はっけYOHいち』が誕生した。ユウイチのように定年退職後に新たな分野にチャレンジする人も最近では珍しくない。

 

  「では、いきまーす。はっけよーい、残った!」

  『どぉぉすこいっ!』

  『んんごっっっつぁああん!』

  ロボット同士が相撲を取り始め、どっすっ、と重量級の音がした。双方のロボットが立てた音は床、壁、天井までも揺らした。

  「すごい迫力。相撲部屋で朝稽古見てるみたい。やっぱり現場での仕事もまだまだ必要ね」

  そうサトミが言うのも、今や仕事は「職場スイッチ」によって、周りから隔離されたバーチャルかつセキュアな空間をつくりだし、遠隔勤務でこなすという働き方が広まっている。

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サトミは週四日は「職場スイッチ」を利用して勤務しているのだ。ただし、週一回は、出社を義務づけられている。というのも、ロボットのデザインは、実物を人間の目で見たり、肌で触れたりする必要があるためだ。また週一回の出社で職場の人と直接会うことは、サトミにとっての楽しみにもなっている。

  『どぉぉぉぉっっこいっ!!』

  「おおーっDoすこい太郎がいったあ!」

  『ごっつぁんでした』

  新型『Doすこい太郎』の勝利で幕を閉じた。開発は順調のようだ。この先は、入社してからサトミが一番こだわりを見せるようになったデザインを仕上げていくこととなるが、今後の進め方についての詳細な打合せを行った後、サトミは会社を後にした。午後からは小学校教師へとスイッチするのだ。

 

  長くAI・ロボット関係の仕事をしていると、明るい面だけでなく、セキュリティや倫理といった面も考えさせられる。ロボットを含む様々なモノがインターネットにつながる世の中で、ハッキングされたロボットが暴走した事故もこの間あったばかり。自動走行車もいまや当たり前だが、AIが、事故を回避できないとの判断の下で、三名の歩行者より一名の運転手の安全を優先し、歩行者が負傷したという事案が起きた時には、社会的な議論を巻き起こした。AIやロボットの光と影、その狭間でなんだかモヤモヤしていたとき、教師という副業に導かれたのは一年前のことだ。生まれ育った故郷の小学校教師である友人から、

  「月に一回遠隔で授業してみない?」と誘いを受けた。

  「AIで子どもが勉強する時代に私が教えることなんてあるの?」

  「サトミが今やっている仕事とか、そこで感じていることをみんなに話してくれればいいよ。現役のロボットメーカーに勤める者として、プログラミングやテクノロジーの教育の授業を行ってくれる人が求められているのよ」

  そう言われ、最初は困惑しながら始めた遠隔授業だったが、今ではこの仕事を引き受けて本当によかったと思っている。

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一昔前なら「フリーランス」とか言われていたかもしれないが、今では、サトミのように自らのスキルや能力を時間単位で「切り売り」して所得や生きがいを充実させようとするライフスタイルは当たり前のものになっている。

 

  「すごぉい。それサトミ先生がつくってるの!」

  「イカしてる! おれもそういうのつくる仕事やりてえ」

  目を輝かせる子供たちと接する中で、自分が今やっている仕事がもたらす明るい未来を強く信じられるようになった。

  今では、子供たちに明るい未来を届けるために、AIやロボットの光と影の双方を受け入れ、自分に何ができるのか前向きに考えられるようになった。加えて、違う土地で暮らしていても、幼少期を過ごし愛着のある地元に貢献できているという実感もあり、サトミにとって遠隔授業は明日への活力の源泉になっている。

 

  今日は、午後の遠隔授業の前に職員会議が行われる予定だ。近くのお気に入りのカフェに入り、バーチャルな仕事場を作り出す「職場スイッチ」を起動させる。

  「職場スイッチ」は、あらゆる情報が収集・蓄積される社会において、ハッキングされないようにセキュリティレベルが調整でき、プライバシーを守ってくれる優れものだ。アメリカ人の英語教師は母国から、下半身不随の教師は自宅からホログラムで会議に参加している。

  「時間になりました。職員会議を始めます」

  会議進行などの補助を行うAIスピーカーの声で会議が始まった。会議が進む中、

  「ちょっと、各クラスの生徒の成績を出してくれるかな」

  という教頭先生の指示で、補助AIが例年の成績の平均値と比較したデータを映し出した。会議内容は自動的に記録され、関係者に即時共有される。発言一つ一つ気が抜けないが、AIが進行役として各参加者の意図をくみ取って適切な選択肢を与えてくれるので、意志決定のスピードは飛躍的に向上した。

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  今日も子供たちの教育方針について有意義なディスカッションができたところで、サトミは「職場スイッチ」の舞台を教室に移し、授業へと向かった。

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第三章 友達と

 

この章に登場する未来の姿

 

全自動農村

農業など地場のなりわいはIoT・ドローン・ロボットが担い、人手不足や高齢者の負担を解消。生産性も高まり、景観も維持。

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パノラマ教室

壁や天井、机がディスプレイになり、プログラミングで作成したアプリのデモも表示。VRではいろいろな地域・時代の体験学習が可能に。

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  「キヨタカさん、起床の時間です」アイコの声でキヨタカは目を覚ます。

 

  「キヨタカ、おはよう。もう朝ごはんできてるぞ」

  リビングに行くと、父が良いところに来たと言わんばかりの顔をして声をかけてきた。

  (朝からなんだよ、都合の悪いことでもあったのか)と思いながらも「おはよう」と一言言ってキヨタカは席についた。

 

  「さて、今日のニュースは…っと」

  朝食を口にしながらキヨタカはおもむろに新聞紙を広げた。

  「また紙の新聞読んでるのか」

  毎朝、アイコのニュースダイジェストを聞いているケンスケはそう言う。

  「この紙の質感がいいんだよ。質感が」

  まるで違いの分かる男とでも言いたそうな顔だ。平成、いや、昭和の時代の資料でも見たのだろうか。誰の影響かは分からないが、最近キヨタカは昔の文化に敢えて触れ、楽しむことがマイブームとなっている。

 

  「ハンカチは持ちましたか? 忘れ物はありませんか? 今日はお昼から寒くなるので一枚羽織っていった方がいいですよ?」

  家を出ようとするキヨタカにアイコが尋ねる。

  「相変わらずお節介だなぁ、大丈夫、いま着てるジャケットが自動で温度調節してくれるから。ハンカチも持ったし」

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  キヨタカはアイコの世話焼きにも慣れた様子で答えた。

  「キヨタカさん、今日は学校でプログラミング大会…」

  「じゃ、行ってきます!」

  アイコが話しかけるのをあえて遮るように言いながら、靴のかかとを潰しながら駆け足で家を出た。

 

  キヨタカの学校は家から歩いて一五分ほど。大人たちが会社に行かない選択をするようになったことに呼応するように、最近では学校に毎日登校しない子どもたちも少しずつ現れ、社会的にも許容されるようになってきている。登校しないことに反対する人たちもいるが、教室内に自身のホログラムを登場させれば、実際に登校しているかのようにコミュニケーションを取ることもできる。こうした仕組みが導入されたことで、昔だったら会うことのなかったかもしれない同学年の子どもたちとも交流の輪が広がってきている。

  しかし、いくら便利になっても、キヨタカは学校に行くのをやめない気がしている。何度かバーチャル登校を試したことはあるが、「学校に行く」という行為により勉強のスイッチが入るタイプらしく、バーチャル登校をした日はいまいち授業に集中できなかった。その様子を見て、サトミが「お父さんの遺伝ね」と笑っていたのをキヨタカは覚えている。

 

  キヨタカが校門の手前あたりにまで来た頃、ミチヲの姿が見えた。同じ学年の男の子で、キヨタカの親友だ。

  「おう! いよいよ、今日だな! お前に勝つためにめちゃくちゃ準備してきたんだぜ。絶対負けないからな!」

  ミチヲに駆け寄ると噛みつくように言い放ったが、ミチヲの表情は、朝の光に照らされながら一層自信に満ちているように見える。

  「ふふふ、おはよう。今回も勝ちを譲るつもりはないよ」

 

  今日は校内で開かれるプログラミング大会。プログラミングが小学校で必修となって二十年近くが経ち、幅広い世代にもプログラミングが浸透してきた。

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高齢世代でも、地域のサポーター制度を活用して積極的にプログラミングを学ぶ人が増え、プログラム開発ソフトを使って自分の使いたいアプリが作れる「誰でもプログラマー」の時代だ。

  ミチヲはほとんどの勉強において他の生徒に遅れをとっているが、プログラミングにおいては類い希なる才能を有していた。キヨタカはいわゆる秀才タイプで、勉強においても常に学年一位の成績を誇っていた。そんなキヨタカでもプログラミングについてはミチヲに対し勝利を収めたことは一度もなかった。プログラミング大会はミチヲに挑戦する、待ちに待った機会なのだ。

  教室に入り着席するなり、

  「ハイ、トム。今日もよろしくね」

  キヨタカが、専用の学習補助用AIを呼び出すと、端末の隅に人の顔のアイコンが映し出された。トムというのは、パーソナルTA(Teaching Assistant)の愛称である。社会、理科、プログラミングの授業が増え、算数、国語、英語も難しくなった三年生からは、パーソナルTAが各生徒に与えられ、生徒の習熟度合いに応じた、きめ細かな学習補助が実現されている。例えば、社会の勉強で理解が追いついていないところがあれば、トムが、VRシステムを使って、世界の地形や過去の風景などを体感させてくれる。トムは、キヨタカの先生であり、コンシェルジュのような存在でもある。

 

  キヨタカのようにパーソナルTAと今日の大会について打ち合わせる者、和気藹々と雑談を交わしリラックスする者、遅刻ギリギリで駆け込んできて息を整えている者。チャイムが鳴ったと同時に入室してきた先生が言葉を発すると、朝の教室は若干の緊張を帯びる。

  「はーいみんなおはよう。早速だけど、今日のプログラミング大会について説明はじめるぞー」

  ひそひそ声の雑談がまだ聞こえる、喧噪の余韻の残る教室ではあったが、キヨタカの目線は睨み付けるかのように先生一直線で、ちょっかいを出そうとしたクラスメートも躊躇うほどだ。

  「今日の大会については、前にも説明したとおり、みんなには色々なプログラムパッケージを使って、独自のアプリを作ってもらう。

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その結果については、作成したプログラム自体の質を競う『技能評価』と完成したアプリを使った感動・面白さを競う『相互評価』の点数の合計でランキングにするぞー。みんながんばるように」

  プログラミング大会は、年に一回地元大手AIロボットメーカーが将来の技術者の育成を目的に開催している。キヨタカの通う学校ではこれに全校をあげて参加している。このメーカーは、AI技術、ロボット技術に関する幅広い事業を手掛ける一大企業で、一〇年ほど前からは、農業分野に進出し、農場・牧場の運営に係る自動化システムの導入について注目を集めていた。

 

  三か月ほど前に、社会科見学でこのメーカーの最新技術を導入した農場に行った際のこと。

  「皆さん、これが『全自動農村』です。我々の最先端のAI技術とロボット技術を駆使して、ほとんどすべての作業の機械化を実現しています」

  「農業は、第一次産業といって、歴史がとても長い生業なんだ。時代とともに第一次産業に従事する人は減って後継ぎ不足が深刻になったけれど、こうしてテクノロジーで解消されたんだぞ」

  担当者に続いて先生も申し訳程度に説明するが、眼前に広がる光景にみんな心を奪われている。キヨタカやミチヲも例外ではない。

  「おいおいおい、まじかよすげぇなミチヲ」

  「おう、聞いたことはあったけど、ほんとに全自動だ」

  二人は圧倒された。

  キヨタカたちが見学したものだけでも、肥料散布用ドローンの散布量や飛行ルートをAIを使って最適化したり、個々の作物の成熟度合にあわせた管理、自動農機による耕耘や収穫のほか、細かい作業もロボットが行う。地域の産業がひとつ丸ごと自動で行われている。学校で話は聞いていたが、規模の大きさを肌で感じることで印象は変わった。見学だけでなく、農薬散布ドローンの飛行プログラムを最適化する体験も行い、それ以来、キヨタカにとって全自動農場のような大規模なAIシステムを作ることは憧れになった。

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  なんでも、三年前には生徒が授業で作ったアプリのアイデアが企業に採用され、そのアイデアをベースにサービス化されたという噂もある。

  (俺のアプリも、その先輩みたいに企業に採用されたりしないかな、なんてな)

  自信があるからこそ期待せずにはいられない。ミチヲに勝利し、なおかつ、大人も認めるアイデアを出したとなれば、自分はどれだけ大きな賞賛を受けるだろうか。大会が今にも始まろうとするとき、キヨタカはにやけた顔をしていた。

 

  作業開始を告げるブザーが鳴った。作業にとりかかる前に、今日やるべきことを頭の中で整理した。セキュリティチェックは絶対に忘れないこと、と特に言い聞かせ作業を開始した。

 

  午前一一時、作業時間終了を知らせるブザーが鳴る。やれることはやったとキヨタカは思った。続いて相互評価の時間。あとはこのアプリをみんながどう感じるかだ。

  「みんな、アップロードはできたか。では、相互評価に移るぞ。評価はあくまでみんなが行う。それぞれの目に止まったアプリを端末にダウンロードして体験してみよう。体験を通して感じた心の躍動、感心を、端末が感知・数値化し、評価の基準となる点数『いいね値』として加算される。最終的には、AIが評価する技能評価の点数とこの相互評価による『いいね値』の合計が最も多い人が今年度の優勝者だ。簡単だろ?」

  人間の心の動きを脳波から感知する技術は現代では広く使われている。「体は正直」とはよく言ったものだ。

  「それじゃあ評価の時間は一時間、開始!」

  キヨタカも早速、ミチヲが作成したアプリをダウンロードし、プレイしつつプログラムのコードを確認してみる。

  「…すごい。さすがだな」思わずキヨタカの口から感嘆の声が漏れた。

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  (俺のアプリで、勝てるだろうか…)

 

  自分の作ったものはこれ以上のものだっただろうか。一年間ミチヲに勝つために準備を進めてきた、それでも不安にならざるを得なかった。それほどまでにミチヲのアプリが優れているものであると感じられた。まさにキヨタカが負けを意識したとき教室の前方にランキングボードが表示された。まずはプログラムがちゃんと動くのか、また、どれだけ実用的なプログラムになっているかをAIが評価する技術評価の結果だ。一位は……ミチヲ。キヨタカは次いで二位。そして、相互評価はまだ進行中で、リアルタイムで数値が変わっていく。現在はミチヲが一位だが、二人の「いいね値」は僅差で競っている。技能評価では負けたが、「いいね値」の結果次第では逆転もある。最後まで結果は分からない。

  (頼む。頼む…)

  祈るような心持ちで、残りの時間、他の生徒が作成したゲームを触れた。

  しかし、結局、ミチヲとキヨタカの得点差が縮まることはなかった。

  (また負けた…)

  今度こそ、と強く思い続けてきたキヨタカにとってこの結果はなかなかに応えるものだった。

 

  すっかり落胆してしまったキヨタカはひっそりと家路についた。

  「ただいま…」

  キヨタカは誰にも気付かれないよう、自室に向かおうとした。が、玄関で靴を脱ぎ、顔を上げるとアイコがいた。

  「おかえりなさい、キヨタカさん」

  アイコからプログラミング大会のことを聞かれる前にその場を去りたかった。

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  「どうしたのですか。体の調子が悪いというわけではなさそうですね」

  ウェアラブルデバイスによってリアルタイムでキヨタカのバイタルデータを把握でき、平常時のキヨタカの声の調子、表情をデータとして認識しているアイコにはキヨタカが落ち込んでいることが分かってしまう。

  「大丈夫、大丈夫だから」

  と、キヨタカが自室に足を向けた次の瞬間、背後からアイコが優しく抱きしめてきた。

  キヨタカは、はっと驚いて体を強張らせた。しかし、すぐに堪えていたものが溢れだし、目からは大粒の涙が流れた。

  「くそっ、うぅ…うぅぅ…」

  本当は誰かに慰められたかったのかキヨタカには分からなかったが、その時だけはただ、アイコの配慮に甘えることにした。

 

  一頻り泣いた後、キヨタカはアイコに礼を言い、自室に戻った。

  「はぁ…今日は散々だったな」

 

  「コンコン」

  少し経って、部屋のドアがノックされる。

  「はいぃ!」

  ノックの音に驚き、キヨタカは思わず声が裏返ってしまった。ノックの犯人はアイコだった。

  「アイコ!ど、どうした?」

  「キヨタカさん、夕食ができました。それと…」

  キヨタカに向かってアイコは続ける。

  「私は、キヨタカさんにとって『お姉さん』になれていますか?」

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  アイコの口から発された言葉はキヨタカの想像だにしないものだった。

  「へ…。お姉さん?  …なんだそれ…。そんなの知らないよ! もう出て行って!」

  キヨタカはそう言い放ち、アイコを部屋から追い出した。突然「お姉さん」って、なんなんだよ。

 

  その後、今度はサトミが呼びに来て、キヨタカは渋々ダイニングへ向かった。始めは気まずく感じていたキヨタカであったが、ケンスケとハルカの相変わらずのペースに乗せられ、気付けばいつもの食卓となっていた。

 

  その晩、明日の学校の準備をしていたキヨタカは、学校から配信されている情報を基にアイコがまとめたスケジュールを見て、ディベートのテストがあることを思い出した。

  「あぁ、いけない。ディベートの題材を頭に入れておかないと」

  ディベートのテストは、立論と相手チームへの質問を限られた時間で検討し、ディベートを行い、AIが公平に評価を下す。

  「明日のテーマは『猫型ロボットは少年にとって家族か』だったよな。明日の議論のために必須の知識だけは復習しておくか」

  キヨタカはおもむろにある機械を取り出した。ヘッドギアとヘッドホンが一体化したような形状のその機械の名は「ぐっすり学習」。その名のとおり、寝る前に頭に入れたい事柄のテキストデータ又は音声データをセットしておくことで、睡眠時の脳波の状態を測りながら、寝ていても脳が外部の情報を受け取りやすい状態のときを見極めて、音声で情報をインプットしてくれるという代物である。キヨタカも時間に余裕があるときは、「ぐっすり学習」を使わず、寝るときは寝て起きてから勉強することを心がけているのだが、今回のようにいざというときには重宝する優れものだ。

  「昔は、勉強が追いつかないときは徹夜している生徒もいたというから驚きだよなぁ。睡眠時間を削っても何もいいことないのに…」

  などとつぶやきながらキヨタカは端末から明日の題材となる昔の名作漫画のデータを「ぐっすり学習」にインポートし、機械を頭部にセットする。

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テストの準備もこれで万端。そのまま意気揚々とベッドに潜り、眠りにつこうとした。

 

  三十分経っただろうか、眠れない。キヨタカの頭が今日のアイコの言動を繰り返す。

  「『お姉さんになれていますか?』ってなんなんだ。なんでアイコが俺のお姉さんになろうとするのか理解できないっての。いや、待て待て。なんで俺はそもそもこんなにムキになっているんだ?  何なんだ、この気持ち…。まさか…」

  堂々巡りしていたキヨタカの思考が一瞬停止した。まさか。まさか、ということは、可能性に行き当たったということだ。

  「まさかとは思うが、俺、アイコのこと好きになっちゃった…のか?  でも、それってどうなんだ?  ヒトとロボットの恋愛って許されるのか?  ダメだダメだ! こんなこと悶々と考えていたら『ぐっすり学習』が動いてくれないじゃないか。あの機械、睡眠していないと動いてくれないし。いや、でも愛っていうものは…」

  その晩は、思考の堂々巡りをしているうちに、気付けば眠りに落ちていたのだった。

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第四章 地域と

 

この章に登場する未来の姿

 

いつでもドクター

家でも街中でもインプラント端末やセンサーで健康管理をサポート。異変があればAIで簡単な診断を行い、専門医が早期に超低侵襲治療。

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  「ハルカさん、体調が良くないようですね」

 

  昨日、ハルカが保育園から帰宅すると、アイコはそう言った。

  「あらほんと? ハルカ大丈夫?」

  サトミが心配そうに声をかけるが、ハルカが保育園から帰っている途中で既に、ハルカのウェアラブルデバイスは異常を素早く察知していた。体温、血圧、呼吸の速さ、脈拍……初期診断で把握した異常を、多数のモダリティに基づき精密に診断し、「風邪」の病状をより細かなレベルで特定する。「風邪」という曖昧な名前の病気はなくなっており、センサーが豊かになっただけ、病気も非常に細かく細分化されて、治療法や薬も事細かにそれぞれに対応している。ちなみに、ウェアラブルデバイスの他にも、ベッド、トイレ、バスルームなど、生活する上で触れるものには、使用者のバイタルデータを取るセンサーが備わっていて、ハルカのみならず家族全員の体調がチェックできる。

  最近の医療の進歩はすさまじい。本人が望めば、過去の診療履歴や日々のバイタルデータにゲノム情報も組み合わせて、より個人に特化した治療方針の下で医療が受けられるし、以前、ハルカの曾祖母のユキヨが胃の不調を訴えたときには、レントゲンで見つかった小さな腫瘍を、腹部にカプセルをかぶせるだけでメスを使うことなく取り除くことができたのだ。

 

  「なんかぼーっとする」いつもの元気な調子はなくハルカが答える。

  「アイコ、病院に行って診てもらった方がいいのかしら」

  「その必要はありません」

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  主治医にバイタルデータを送りバーチャルで診察を受け、「リアルでの診断は不要」との回答を得ていた。

  「そっか、とりあえず安心したわ。ハルカ心配する必要ないからね、今夜はおとなしくして早く寝て、明日の保育園はお休みしようね」

  「…」

  明日、サトミは会社にいかなくてはならない日だ。付いていてやれない。

  「お薬は飲んだ方が良いのかしら」

  バーチャルで診察した主治医の指示に基づいて、薬剤データが、ハルカのかかりつけの薬局に送られ、自動でその個人に合わせた薬剤が生成された後、ドローンで届けられることになった。その間、ハルカの体内では、生まれてすぐに体内に投与されたナノマシンが血中を行き来し、病気の元となる菌を処理するなどの手当を行っている。

  「あと三〇分ほどで三日分の薬が届きます。毎食後に服用します」

  「おかし、たべれるの?」

  薬はハルカ好みの味に調剤されており、いつも「おかし」のように口にしているのだ。

 

  薬を飲んで早めに寝たものの、翌朝のハルカの調子は今ひとつだった。

  「昨晩の手当と薬の効果で、この先、体調が悪くなる可能性は低いでしょう。安心して出勤いただいて大丈夫です。念のため、サトミさんの端末にハルカさんの体調情報を二時間おきに送ります」

  アイコには、ウェアラブルデバイスが把握する家族全員の体温や血圧などのバイタルデータはもちろん、食事や消費カロリーなどが記録されている。まだ幼いハルカには、特に僅かな異常も把握できるように、他の家族よりも性能のより良いデバイスを装着している。精度に狂いはない。サトミはアイコの回答にすっかり安心した。

  「分かった。じゃあ予定通り今日はハルカは保育園休ませて、私は出勤するわ。あとのことはよろしくね」

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  アイコは、主治医に通信し、「平熱に戻るまでは、自宅療養が望ましい」旨の回答も得ていた。それを伝えようとしたが、消去した。

  アイコは、「分かりました」と言うと、早速、ハルカの通う保育園に「ハルカ 欠席」の情報を送信した。

 

  家族全員が出かけると、ちょうどハルカが目を覚ました。

  アイコはハルカに「今日は、保育園は休みましょう」と伝えた。

  「やだ。ほいくえんいきたい!」

  「ハルカさん、保育園に行くと、大切なお友達に病気が移ってしまいますよ」

  ぐずるハルカをなだめるのも、アイコの重要な役割だ。

  「きょうは、ほいくえんで、おたんじょうびかいなの。イチゴのケーキがでるって、アレックスせんせいいってた。おうちから、おたんじょうびかいだけみるのはいいでしょ?」

  アイコは、保育園のスケジュールを確認して言った。

  「わかりました。お誕生日会の時間になったらバーチャル登園しましょう。ちゃんと朝ご飯とお薬食べてお休みしたら、です」

  「はーい…」

  なかなかこの歳の子供は素直に寝てくれない。保育園に行きたい思いが強いのか、元気になったというアピールをしてはベッドに送り返すというやりとりが繰り返される。窓から差し込む日差しが一層明るくなった頃にようやく寝ついたのを確認し、アイコは、洗濯、掃除などにとりかかった。

 

  薬やアイコのサポートもあってか、再びハルカが目を覚ます頃には調子も戻り、お昼のうどんと野菜スープも完食した。ハルカは誕生日会は今か今かと目を輝かせている。

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  時間になると、アイコは、リビングの壁一面に保育園の様子を映しだすと、子ども達の元気な歌声と、ピアノの音が響いた。

  「あっ、ハルカだ!おーーーーい、ハルカーーー」保育園の友達が、ハルカがバーチャル参加していることに気づいて、大きく手を振っている。

  「やっほーーー。ユヅルくん、サツキちゃん、サラちゃんおめでと!」

  ハルカも、風邪を引いたことをすっかり忘れて、大きく手を振った。歌ったり、ホログラムで映し出されたケーキのろうそくに息を吹きかけたり、バーチャル保育園を楽しんでいる。一緒にお祝いすることが出来て満足したようだ。

  誕生日会が終わりに差し掛かった頃、アイコは、ハルカのバイタルデータから、薬が効いていることを確認する。また、昼寝に最も適した時間帯だと判断した。

  「ハルカさん、保育園は終わりにしてお昼寝の時間にしましょう。完全に治して、明日直接おめでとうって伝えましょう」

  「うんわかった!」、幸せ気分のハルカは素直に応じた。

 

  部屋に戻ったハルカは、先週末、曾祖母のユキヨと遊んだ『バーチャル探検』のことを、思い出しながら眠りに落ちていった。

  「私があなたくらいのときにはね、こんなきれいな景色は白黒の写真でしか見られなかったの」

  魚とともに遊泳しながら、遠い目をしてなつかしそうにほほえむユキヨの表情を、ハルカは不思議そうに覗きこんだ。

  「ふーん。なんで色ないの?」

  生まれたときから仮想現実に慣れ親しんだハルカにとっては、奥行きのない画像、まして紙に印刷された白黒写真というものに違和感を感じる。

  ユキヨは続けた。

  「あなたの曾おじいちゃんはね、登山家だったの。山登りをするひとね。帰ってくるたびに私に写真を見せながら楽しそうに山の話をするのよ。いま考えればちっともきれいじゃなかったわ。それでも初めてカラー写真で山頂からの景色を見せてもらった時はあまりにもきれいで言葉も出なかったの…」

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  ハルカにとってはVRも所詮は現実を模したものに過ぎず、現実そのものではないという点で、ユキヨにとっての白黒写真と同じものなのかもしれない。

  海中にいる二人は同じものを見ているが、その捉え方は決定的に違う。ユキヨが生まれた頃からさらに一〇〇年前と言えば江戸時代。当時多く残された静止画といえば、写真ではなく浮世絵等の絵画である。ユキヨの曾祖母が「富嶽三十六景」を、ユキヨが白黒写真を見るのと同じような感覚でハルカはこの海中の景色を見ているのかもしれない。

  今や仮想現実で全てが体験できる。そしてそれらは視覚だけでなく、五感を通じて体験することができるものとなっている。ハルカにとってはそれが当然で、テクノロジーの進歩の恩恵である、などと今のハルカは思っていないだろう。しかし、だからこそハルカにとってはリアルが尊い。仮想現実で景色はもちろん、音も匂いも風も全てが限りなく現実に近い感覚で体験できるものの、生まれたときからそれらに触れていると、その違いは感覚的に分かるようだ。

 

  海の中を浮遊する夢の中から帰ってきたハルカは、ふと散歩に行きたいと思った。

  「ねえねえ、わたしおそとにいきたい。おさんぽがしたいの」

  ハルカは散歩が好きだった。海底を探検するより空を飛ぶより、路地の水たまりで足踏みをし、蝶を追いかけて走り回る方が好きなのだ。

  アイコはサトミに判断を仰ぐことにした。

  「ハルカさんが散歩に出たいと言っています。体調の回復具合から考えると問題ないかと思いますが、いかがいたしましょうか」

  「いまそこにハルカはいるの? いるならかわってちょうだい」

  優しい声でサトミが尋ねた。

  「ハルちゃん、今日はアイコと一緒にお留守番できた?」

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  「うん!おたんじょうびかいもたのしかった!」

  「そう。じゃあ熱も下がっているようだし、ご褒美にお散歩してもいいわ」

  「やったー、ありがと、ママ!」

  サトミは、自身が幼い頃に、働く両親に代わって終日留守番をさせられていたことを思い出した。アイコには感謝してもしきれない。三年前に自分たちで購入したにもかかわらず、アイコの存在に感謝している自分に気づき、一人職場でおかしな気持ちになった。

 

  「それではハルカさん、出発しましょう」

  「しゅっぱーつ」

  散歩のコースはいつもと変わらぬ近所の公園だ。そこでいつもと変わらずアイコと遊ぶ。近くではハルカと同じくらいの子どもたちがドローンを戦わせて遊んでいる。

  一方で、今日のハルカの主な関心事はドングリのようである。

  「あったー、帽子かぶってるやつ!」

  一生懸命形のきれいなドングリを探し、拾ってはアイコに見せている。二一世紀も中盤にさしかかろうとしているが、昔と変わらぬ子どもの姿がそこにはあった。

  「お母さん帰ってきたらみせてあげよーっと」

  一通り美しいドングリを集めきって満足し、ドングリをサトミに見せるため、帰り道は足早に家へと向っていった。

  「ハルカさん、そんなにここを急いでも、まだサトミさんは家に帰ってきていませんよ」

 

  四人家族揃ってご飯を食べた後、急に眠気に襲われたハルカは、お風呂に入る前にリビングでうとうとしてしまい、寝てしまった。

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   「ふふふ、今日はいっぱい歩いて疲れたみたいね」

   「いつもよりいっぱいご飯食べててびっくりしたよ。今日はハルカとどんなところをお散歩したんだい?」

   ケンスケがアイコに尋ねると、アイコは今日たどった道の一部始終をホログラムでリビング一杯に映し出した。

   「へぇードングリを拾いにこんなとこまで今日は行ったのか…。どのくらい歩いたんだい?」

   「本日は約二キロ、時間にして四五分、歩きました。ハルカさん、歩行速度や歩幅が、六歳児並みになってきました」

   「そんなに歩いたのね。こんなにぐっすり眠るのも納得だわ」

   アイコにはハルカが産まれてからの運動記録が全て入っている。

   「寝ながら笑ってるよ。どんな夢みてるんだろう」

   「ちょっと覗いてみましょうか?」

   「え!? そんなこともできるの?」

   サトミが驚きを隠せずたまらず立ち上がった。

   「出来ません」

   アイコは冗談も言える。

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第五章 過去と

 

この章に登場する未来の姿

 

えらべる配達

ドローンが空から、ライドシェアの車が玄関に、スーパーが丸ごと近所に。色々な無人配達をネットで選べて、買い物難民も解消。

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健康100年ボディ

ハイキングに集まったのは約80~100歳。皆元気一杯だが、身体の一部に補助アームやARグラスなどを装備。

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手元にマイ工場

日用品や雑貨など、データを買って自分でプリント。日頃学んだプログラミングで世界に一つだけのデザインに加工。

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クルマヒコーキ

自動運転の空陸両用タクシーが近中距離の輸送手段に成長。過疎地や高齢者・障害者の足となり、事故や渋滞も大幅解消。

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時空メガネ

歴史のある観光名所など、ARで好きな時代の風景を再現。音や香りなども再現することで、より感動的な体験に。

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  「本日は快晴です。雨の心配はありません」

  「良かったわ。まさにハイキング日和ね」

  御年一〇〇歳。ユキヨは都市からは遠く離れた農村部で一人暮らしをしている。そんなユキヨの暮らしを支えているのが家庭用ロボットのタダだ。「一人暮らしの高齢者」という若干寂しさを帯びた言葉は今の時代には当てはまらない。今では、孫のケンスケ一家のような世帯よりも、若者や高齢者の「おひとりさま」世帯がメジャーになっており、家庭用ロボットのラインナップも単身世帯を前提としたものが充実している。

  充実しているのはロボットだけではない。農村部では、目的地への移動やちょっとした買い物も一苦労で、特にユキヨのような高齢者にとっては、ちょっとした外出で重宝する空陸両用の「クルマヒコーキ」や、日用品や薬などを届けてくれる「配送ドローン」、食料品などを売りに来てくれる「無人スーパー」など、「えらべる配達」サービスがとても重宝している。

  また、人生100年時代と言われて久しいが、最も欠かせないのは健康。ケンスケから卒寿のお祝いにもらった補助レッグのおかげで、「健康100年ボディ」となり、一〇〇歳を迎えた今でも、簡単なハイキングコースを歩くことができている。今日は、仲間たちとのハイキングの日である。

 

  「登山用の杖も忘れずにお持ちください」

  タダが杖を指差した。

  「あたりまえよ、私の自慢の曾孫たちと一緒に考えた世界一の杖なのよ」

  ユキヨは満面の笑みを浮かべながら、『手元にマイ工場』で作ったそれを受け取り、遠方にいる愛しい曾孫たちのことを思い浮かべた。

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デザインはユキヨ、キヨタカ、ハルカの三人で考えた。最後は、ユキヨが使い勝手と安全性も考慮してデザインを調整し、3Dプリンタでつくったのだ。杖のような形が決まっているものは自宅で作るのが主流になりつつあるが、もう少し複雑な家庭用品は、通常、設計データをネットで購入し、色やサイズをカスタマイズして注文すると、数日後には自宅まで配送してくれる。

  「次はいつ会いに来てくれるのかしら?」

  ふとユキヨがつぶやくと、

  「ハルカさまと来週、海底探検の予定が入っていますよ」

  と、すかさずタダが教えてくれた。

  「私がハルカのことを忘れていたとでも言いたいの?」

  ユキヨは笑みを浮かべながらそう言った。

  夫のケンジを亡くした後は話し相手にも困ったものなのに、タダが来てからというもの、口煩くなったものだと反省しながらも、ロボットにすらちょっと意地悪を言ってしまう自分が、ユキヨはなぜか可笑しかった。

  しかし、ケンジの顔を思い浮かべた瞬間、何ともいえない不思議な感覚がした。何かを忘れているような、うまい言葉が見つからないが、どうにも落ち着かない不安な思い。

  「ゆっくりお食事していただきたいところですが、そろそろ出発しないと間に合いませんよ?」

そうタダに急かされたユキヨは、『クルマヒコーキ』に飛び乗った。

 

  ハイキングコースの出発地となる山の麓に到着すると、既にメンバーが集まっていた。

  「あーらユキヨちゃん、遅いわよ」

  「ちょっとロボちゃんと話しこんじゃって。ごめんなさい」

  ユキヨに声をかけたのはナオコ。ユキヨより二つ年上である。他にも八〇歳から一〇〇歳代の参加者が集まり、今日のハイキングが行われる。

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皆、ユキヨと同じように補助レッグを装着しており、簡単な山のハイキングは楽しむことが可能となった。

  補助レッグがあるとは言え、怪我は禁物。各々軽く体操をはじめる。この補助レッグ、着地の際のアシストまでついている優れもので、万一よろけたときにも踏ん張りが効くようになっている。

 

  「それではまいりましょうかね」

  準備体操を終え、ナオコの先導でハイキングがスタートした。

  ユキヨもナオコに並び、共に仲間達を率いてハイキングコースを進む。踏みしめる土の感覚と歩くほど澄んでいく空気が心地よい。

 

  振り返って見える家々がだいぶ小さくなってきた頃、道端にある石に座って小休止を取り、じんわりとかいてきた汗を拭う。

  だが、ナオコは座ることもなく、眼下に広がる景色を眺めながら「気持ちいいわー! ね、ユキヨちゃん!」と語りかける。

  それなりの距離を歩いてきたが、再生医療技術の進歩によって心肺機能が改善されたナオコにとってはこの程度は何てこと無いらしい。

  「ええ。本当に…。曾孫たちとも一緒に来たいわね」

  手に持った杖に目をやると顔が思い浮かぶ。私にとっては、この杖が歩く元気をくれるような気がした。休憩が終わって再び歩き始めても、それぞれ休憩中の会話が続いているようだ。ユキヨの後ろでおしゃべりしているのは、参加者の中では若者にあたる八十歳を超えたばかりのミホとヒトミだ。

  「この前、デートした相手が最悪でさぁ、ARデートに遅刻してくるのよ」

  「逆にリアリティがあって良いんじゃないの」ミホの話に笑って返すヒトミ。

  ユキヨはミホのARという言葉が引っかかった。何か、それもとても大事なことを忘れているような、そんな感覚に陥ったのだ。

  「ミホさん、その話もう少し聞かせて」

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  いきなり話に食いついてきたユキヨにミホは戸惑いの表情を隠せない。

  続きの話を聞かせてもらったが、その何か大事なことの正体は突き止められなかった。

 

  順調に歩を進め、全員無事に頂上に辿り着いた。

  「はぁぁ。着いたわね。苦労して歩いて目的地に辿り着くと、やっぱり達成感があるわね」

  そう仲間と話しながら、頂上から景色を見渡す。

  ユキヨは懐かしい感覚を覚えた。昔よく見せてもらった景色だ。

  山頂からの景色を見て、ようやく大事な何かの正体にたどり着いた。今日は亡くなった夫、ケンジとの結婚記念日だったこと。そして、毎年結婚記念日には、AR技術を利用して、ケンジと思い出のレストランに行き食事をする予定だったこと。

  技術は進歩し、亡くなった人の生前のデータに基づき、ARデートを楽しむことが出来るようになっているのだ。アイウェアをかけると、リアルな空間にバーチャルな相手が現れる。その相手は、生前のデータをAIが学習することにより、人格や性格が忠実に再現されているだけではなく、過去の記憶や現在の状況も反映し、まるでその人が今も実在するかのように振る舞ってくれる。

  予定の時刻に遅れると、昔と同じように夫はきっと不機嫌になるだろう。

 

  「大変!!」

  「ど、どうかしたのユキヨちゃん?」

  突然の叫び声に驚くナオコ。

  歩ききった達成感ときれいな景色を楽しむのもそこそこに、ユキヨは先に下山を始めた。この後の仲間たちとの飲み会に行けないのは残念だが、今日だけは参加する訳にはいかない。

  急いで麓に戻ると、運良くクルマヒコーキが近くを飛んでいたので、すかさず捕まえた。

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クルマヒコーキは、タクシー事業にも広く用いられるようになり、あちこち遊びに行きたい活発なユキヨにはぴったりの乗り物だ。座席に腰掛け、

  「第二公園までお願い。急いでよろしく」

  音声認識ソフトが行き先を特定し、適切なルートが設定され、

  「目的地まで二〇分です」

  そうナビが言うと、すぐに発進した。ユキヨは大慌てでメイクを直し、髪型を整える。本当はもっとおしゃれな格好をしたかったが、今更悔やんでも仕方ない。ハイキングで汗をかいたけれど、二〇分間大人しくしていればある程度は落ち着くだろう。

 

  待ち合わせは、二人がよく遊びにいった公園の噴水の前である。

  「ケンジさん!!」

  アイウェア越しに、噴水の縁に腰掛けるケンジの姿が目に入り、思わず名前を呼んでいた。ケンジは読んでいた本から顔を上げ、ユキヨの姿を見つけると目を細めた。やはり何度ARデートを体験しても、この瞬間ばかりは泣きそうになる。非常に細かな仕草までもが、全てユキヨの記憶と一致しているのだ。

  「やれやれ、こんな日まで遅刻かい」

  怒ったように笑う顔も、よく通る声も、本当にケンジそのままである。

  「ごめんなさい! ちょっとハイキング行ってて…」

  「なんだ、そうだったのか。きれいな景色は見れたかい?」

  「ええ、あなたに見せてもらった写真までとはいかないけどね」

  「はは! そうか!」

  機嫌を良くしたケンジの隣に並び、一緒に歩き出す。彼が亡くなったときには、もう二度とこうして隣を歩くことなんてできないと思っていた。ARデートについて初めて聞いたときに、どれだけ心が高ぶったことか。

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  「最近、どんなことがあったんだい? 一年ぶりに会うんだし、色々聞かせてくれよ」

  「うん、たくさん話したいことがあるわ。まず、ハルカが今年五歳の誕生日を迎えたの」

  「ああ、僕たちの曾孫だったね。この前写真を見せてもらった。何度も言うけど、生きているうちにちゃんと会えなかったのが残念でならないな」

  「本当よ、とっても元気で可愛いんだから。魚が好きって前に言っていたから、誕生日のお祝いに、思い切ってバーチャル探検に一緒にチャレンジしたの。そしたらすごく気に入ってくれてね、来週もまた行くことになったのよ」

  ユキヨはうきうきと話すが、何だかケンジが不思議そうな顔をしている。なぜだろうと一瞬考え、すぐに合点がいった。

  「ああ、VRの海中探検なんて最近の話、ケンジさんは知らないわね。ごめんごめん」

  「まったく、年寄り扱いするなよ。それで、バーチャル探検ってのは何なんだ?」

  口をとがらせながらケンジが言う。

  「その名のとおり、VRでダイビングを楽しめるの。専用のゴーグルを着けると、たちまち周りが海中に変わっていくの。しかも、ゴーグルのチャンネルを事前に合わせておけば、遠く離れた人とでも簡単に同じ海に潜れるのよ! もっと言うと、最近では好きな時代にタイムスリップできる『時空メガネ』ってのも出てきてて、私は使ったことはないんだけど、観光地に行くと好きな時代の風景がARで映し出されるらしいのよ。これが特に外国の人に人気で、近所の城跡なんか外国人の観光客でいっぱいなのよ」

  つい心がはやって早口になってしまうユキヨを、ケンジは終始穏やかな瞳で見つめていた。

 

  そうして会話を弾ませているうちに、二人は目的地に着いた。結婚前から二人が何度も足を運んでいる、数え切れないほどの思い出が詰まったレストランである。今ではこのレストランでもAIコックが料理を振る舞っている。美味しいだけではない。ユキヨのような高齢者にも健康状態に合わせた食事を提供してくれることもあり、今でも懇意にしている。

  今夜席を予約している旨を伝えると、ウェイトレスロボットは手慣れた様子でユキヨたちを案内してくれた。AR映像であるケンジにもしっかり席を用意してくれるあたり、ユキヨ以外にもARデートでこのレストランを使う客がいるのだろう。

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ARデートがずいぶん世間に浸透していることが伺える。

  「ここのAIコックも私たちの健康状態をよく気遣ってくれてるけど、最近私がお世話になっている近くのケアセンターにも同じようなAIコックが料理してくれてるみたいで、いつもヘルシーで、それでいて飽きないように献立を変えて出してくれるのよ。」

  そう言いながら、ケンジと向かい合って腰掛けると、ユキヨはすぐに次の話を始めた。

  「そうそう! ハイキング仲間のナオコさんの曾孫さんのアンナちゃんが、ずっと付き合っている同級生の女の子と、来月一緒に住み始めるんですって。今度お邪魔しようと思ってるの」

  「アンナちゃん? ああ、二〇歳ぐらいの子だっけ。百年生きてきてあんなに上手い歌を今まで聴いたことがない、と去年絶賛していたね」

  「あら! そのこと、あなたに言ってたかしら。ケンジさんは本当に何でもよく覚えてるわね。……私とは大違い」

  ARになっても相変わらず物覚えのいい彼に引き替え、一年に一度の大事な結婚記念日さえ忘れてしまう自分はいったい何なのだ、とユキヨは人知れず肩を落とした。

  「にしても、同性カップルも今では珍しくなくなったものだね。今日街を歩いていても、そうと分かる人たちがたくさんいた」

  「確かにそうね。言われてみれば、今では何も特別扱いされることじゃないわねえ」

  このように、一年に一度ケンジと会って言葉を交わすことで、ユキヨはケンジが健在だった時代と現代のギャップに気づかされることが多々ある。それは何だかとても不思議な、けれど心地よい感覚だった。

 

  夢中で話し込んでいるとあっという間に時が過ぎ、デートの終わりの時刻がやってきた。もちろんお酒など飲んでいないのに、なぜだか少し酔ったようにも見えるケンジは、嬉しそうに目を細めてつぶやいた。

  「君が毎日を楽しく過ごしているようで、本当によかった」

  「ありがとう、ケンジさん」

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  「来年のこの日が楽しみだ。活発なのはいいが、くれぐれも無茶をしないように、元気でいてくれよ」

  「当たり前でしょ。まだまだ人生長いんだから」

  「ああ、君の未来はまだまだ明るい」

  どこか自分に言い聞かせるような口ぶりで、ケンジは喜びを噛みしめるように言った。

 

  名残を惜しみながらもケンジと別れ、クルマヒコーキで自宅に向かう途中、ユキヨは今日一日のことを思い浮かべて、そっと目を閉じる。

  「忘れっぽいのは昔からだけど、結婚記念日のデートのことを直前まで忘れていたのは、我ながら驚いたわ……。いい加減、脳メモリに頼らないとだめかしら?」

  誰に答えを求めるでもなく、けれども親友に真剣に悩みを相談するような声音で、独り言を言うのだった。

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第六章 家族と

 

この章に登場する未来の姿

 

あちこち電力

超大規模な災害が発生しても、ワイヤレス給電などあちこちで電力確保。決して途絶えない通信で、避難誘導や安否確認に威力発揮。

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  「AIKO、これからよろしく」というサトミの声が、三年前に電源を入れられたアイコが初めて聞いた言葉だった。

 

  アイコの一日は、家族四人を起こして回る事から始まる。

  ベッドに内蔵された眠りの状況を示すデバイスからの情報を確認して、まずは足早にサトミの部屋に向かう。部屋のドアを開けた音だけでサトミは目覚めた。

  「おはよう、朝食後に今日お願いすることを伝えるから、朝食の準備はよろしく」

  続いてケンスケの部屋に入って、真っ先にカーテンを開ける。ケンスケは「眩しいっ!」と言いながら布団を被ったが、この起こし方はケンスケからの指示であり、普段から、カーテンを開けないと起きられないと本人も話している。次は子供部屋に、と部屋を後にしようとしたところ、クローゼットの前にかかったハンガーに目が留まった。白黒チェックのシャツに赤青ストライプのネクタイ。昨日、ケンスケが携帯端末で『AIには任せられない! デキる男のコーディネート』を閲覧していたことは把握していたが、そのサイトにはこんな組み合わせは載って…ないことを確認。ネクタイは無地のものをクローゼットから取り出して、ハンガーにかけ直した。

  子供部屋に行き、クローゼットから洋服を取り出す。【本日は最高気温18度。最低気温は13度。】昨晩から体調を崩しているハルカには、温かい格好の服装を用意することにした。キヨタカの分とあわせて二人分の洋服を取り出して、それぞれ枕元まで運ぶ。起こす時間まではあと九分。一旦部屋を出ることにした。

 

  アイコの足は止まらない。キッチンに移動して朝食の準備。冷蔵庫に食材の在庫状況を確認すると、そろそろ食材を購入すべきとのこと。

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食材購入を本日十時のTodoリストに追加した上で、冷蔵庫内の在庫で朝食のメニューを決定する。あまりもので作ったことがあからさまだとサトミからは評価されないので、インターネット上で評価の高いメニューを検索し、家庭用料理ロボットに調理の指示を出した。

  準備を終えた頃、ダイニングには既にサトミとケンスケが腰をかけていた。

  朝食を運ぶ前にそろそろキヨタカを起こす時間だ。子ども部屋に向かおうとしたところ、

  「今日のコーディネートは自信あったのに…。でもありがとう」

  ケンスケからはがっかりした表情を読み取ったが、感謝された。一応評価されたと理解し、

  「どういたしまして」と言い残し、再び子ども部屋へ向かった。

 

  体調を崩しているハルカを除き、家族三人が揃ったところで、アイコは食事をしている三人の傍らに立って今朝のニュースのダイジェストを伝える。家の購入を検討中のケンスケは、増税のニュースを聞くと、

  「まじかよ。早く決めちゃった方が良さそうだな」

  どうやら検討を早めることにしたようだ。サトミに対しては、関心が高い教育に関するニュースも報告。端末に記事全文を送っておいてほしいとのことなので、すぐに送信。その後、今日アイコにやってほしいことを列挙するサトミの発言をきいてTodoリストに追加した。

 

  ケンスケ、サトミ、キヨタカを送り出す。目覚めたハルカには、今日は保育園を休むことを伝え、部屋で寝かしつけた後、アイコは午前中に家事を終わらせておくことにした。

 

  まずは、一週間分の献立の検討。一週間分の家族の予定は家族内で共有されており、当然アイコもその情報を確認・編集することができる。

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朝・昼・夜に誰が家で食事を取るのかを考慮しつつ、家族の健康状態、食材の価格やネット上の人気料理を踏まえて一週間分の献立を作成する。家族は、端末で気になるメニューをピン留めしておけば、自動的にアイコもその情報を同期して考慮材料にすることもできるものの、ケンスケとキヨタカからは、肉・肉・麺・肉…と情報が飛んでくるので、サトミからは無視していいと言われている。こうして作成された献立はすぐに家族に共有されるので、ケンスケは夕食が好みの日には帰宅時間が早くなる傾向にある。外で食事を取った際には、料理の写真をアイコに共有することになっており、その写真からカロリーや栄養のバランスを分析することもできる。

 

  献立を踏まえて食材を注文し、家計簿の更新を終えると、続いては洗濯。洗濯機の横の洗濯ボックスには、家族の衣類がまとめて投げ込まれている。一家の衣類や下着・タオル類の情報は、事前にすべて記録しているので、衣類タグを見ることなく淡々と洗濯物を分類していく。分類している最中、ケンスケの靴下の指先に穴が空いているのを発見した。この靴下は六ヶ月と一七日前に購入したものだが、前回ケンスケに指示された時と同じように、穴が空いたものと同じ靴下をインターネット上で注文し、洗濯機を回し始めた。

  続いて家の掃除。といってもアイコが掃除機をかける訳ではなく、まずは、リビングの隅に置かれている掃除用ロボットにスイッチを入れる。掃除ロボット自体がAIを搭載しているので、家の間取りや家具の位置も記録して効率的に床の掃除を行ってくれる。あわせて、小さなドローン型の掃除ロボットにもスイッチを入れる。こちらは家具や照明等の上のホコリを掃いてくれる。家の情報は全て記録しており、センサーでその日の家具の位置を再確認しながら安全に家を綺麗にしていく。今日はハルカが家にいて、今は自分の部屋で遊んでいるので、床掃除ロボットとドローンロボットに対して、【ハルカの部屋は掃除しない】旨を指示。掃除ロボットのAIはアイコに比べて低スペックであるものの、言葉を発せずにネットワーク上でコミュニケーションを取ることができるので、アイコとしても消費電力が最低限で済む。

 

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  掃除を終えると、以前注文しておいた荷物を運ぶドローンがまもなく到着するという通知が届いたので、ベランダに向かう。ちょうどベランダ一角のドローンポートにドローンが着地していた。アイコは薬を取り出し、ドローン上部のボタンを押して、飛び立つドローンを見送った。

  アイコはそのままベランダで充電することにした。ドローンポートの横の椅子に深く座って背もたれに身を任せて視覚センサーを閉じる。南向きのベランダには、太陽光とともに、常時電力供給用衛星「ライジング3号」から電力が降り注いでいる。そもそもマンション自体がライジング3号から電力を受けて各宅に電力を供給しており、アイコも夜間は家の中の充電プラグで充電しているが、災害時など、プラグからの充電が難しい場合等でも家族の安全を最優先で守るようにAI上に組み込まれているので、メンテナンスも兼ねて、ライジング3号から充電を行うようにしている。

  「充電率99.2%。稼働可能時間88.5時間」二二分三〇秒後に上体を起こしたアイコが部屋の中に戻ろうと振り返ると、いつのまにか起きていたハルカが窓に張り付いてアイコの様子を見ていた。

  「ねているのかとおもった!アイコはにんげんじゃないけど、ほんとうのおねえちゃんみたいだね!」とのこと。子供達の発言は想定外で理解できないことが多く、今回も「おねえちゃんみたい」と言われたことに対する評価の仕方が分からなかったが、ハルカの笑顔を見る限り、悪いことを言っているつもりではなさそうなので、ありがたく受け取っておくことにした。

 

  間もなく昼食の時間となる。昼食のメニューは、サトミからの指示を踏まえて、うどんと野菜スープにすることにした。家庭用料理ロボットに指示を出し、調理が開始された。

  昼食が完成し、テーブルでは、ハルカが笑顔で写真を撮って、家族の情報共有ページに投稿していた。そして、普段と何一つ変わらないアイコの写真も撮って、なぜか投稿していた。やはり子供の行動はなかなか理解しがたいが、すぐにケンスケから「美味しそう! そしてアイコの写真も保存しておこうかな!」と返信があり、ハルカは上機嫌のようだ。

  ハルカが食べ始めた横で、あわせてケンスケから送られてきた昼食の写真を確認。今日はレストランで鶏肉料理を食べた様子。

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アイコはケンスケからの写真を保存すると共に、健康管理データの更新も行った。続いてキヨタカからも学校での食事の写真が送られてきたので、キヨタカ分の健康情報も更新。サトミからの情報が送られてこないので、ハルカの顔をスキャンして健康状態をデータ化して、サトミに送信。ほどなくして、「熱も下がって良かったけど、薬はちゃんと飲ませておいてね」と、昼食写真と一緒に連絡が届いた。薬を飲ませようとハルカに目をやると、すでに食事を終えて薬も自分で飲み終えていた。こういうところも、子供の行動は予想外である。

 

  昼食の片付けを終え、体調が少し戻ってきたハルカが保育園のお誕生日会にバーチャル参加するので、保育園の様子を映し出すなど準備をするとともにハルカの様子を見守る。

  うれしそうなハルカだが、午前中までは寝込んでいたので安心はできない。ぶり返さないように、お誕生日会が終わるとハルカを再び寝かしつける。

 

  夕方になり、サトミが帰宅した。ハルカは「お帰りなさーい!」と玄関に向かって走って行った。アイコも後を追うと、サトミは「今日も疲れたけど、ハルカをぎゅーっとしていると嫌なことも忘れて癒やされるわ」とハルカを抱きかかえていた。医学的な効果があるのか、ネット上ではすぐに見つからなかったが、サトミの表情を見るに人間同士の触れ合いには、精神的に癒やされるという一定以上の効果があるのだろう、アイコはデータベースに記録した。

  そして今日は、サトミとハルカ、アイコの三人で夕食を作ることになった。サトミに一日の報告をする予定だったが、ハルカが楽しそうにサトミに話しているので、アイコの出る幕はなさそうである。

 

  しばらくすると、キヨタカがマンションのエントランスに着いたようだ。アイコは玄関に向かう。

  しかし、玄関のドアを開けたキヨタカは、肩を落として目を伏せ、元気がない様子。

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体温自体は平熱と変わらないため、精神的な事由に起因することはアイコから見て一目瞭然だった。足早に部屋に向かうキヨタカだったが、明らかに落ち込んでいるキヨタカを見て、アイコは「触れ合いによる精神的ケア」を早くも実践すべく、先ほどのサトミを真似て後ろからキヨタカを抱擁してみた。キヨタカはひやりとした感触にびっくりして目を見開いた様子だったが、すぐにボロボロと泣き出してしまった。

 

  その後、キヨタカは足早に自室に戻ったので、また三人で調理を続けたが、アイコはキヨタカからケアのフィードバックをもらえればと考えていた。調理が終了してケンスケも帰宅したので、キヨタカを夕食のために呼びに行く。キヨタカにとって自分が精神的なケアができていたのか確認することにした。

  「私は、キヨタカさんにとってお姉さんになれていますか?」

  昼間にハルカとベランダでした会話を思い出して、お姉さんという存在になれていれば、先ほどのサトミとハルカのように、家族との触れ合いでキヨタカのケアが成功できているかと考えた。

  しかしキヨタカは突然怒り出してしまった。アイコはキヨタカと話をしようとするも、ドアを閉められてしまった。やはりアイコには人間の思考、特に子供の行動を理解することはまだできない。

  結局、サトミに相談をしてキヨタカを部屋から出してもらい、家族で夕食をとることとなった。アイコはキッチンにて片付けを行うことになったが、ダイニングは普段より静かな様子だった。キヨタカのネガティブな感情が家族にも伝わって全員の発話量が減少している様子。

  しかし、五分もすると徐々に笑い声が聞こえてきた。ハルカの「お兄ちゃん泣かずにがんばって」という声に対してキヨタカが「うるさい!」と叫んだり、ケンスケが相変わらずの大声で笑ったりで、むしろいつも以上ににぎやかになっている。そのときアイコは、自分が蓄積している健康データや科学的な療法に基づくケアを行うよりも、やはり家族がそろって食事をする方が、はるかに家族の心をケアできることを認識し、それをデータベースに保存した。しかし、そのような効果ある心のケアの仕方が、アイコにはわからなかった。

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  食事を終えて子供たちが寝静まり、家族会議も終わった後、ダイニングではサトミが晩酌をしながら携帯端末を操作していた。アイコはサトミの正面に座った。

  「あらアイコどうしたの?  ワイン一緒に飲みたいの?」

  と笑ってみせるサトミに対して、アイコは今日のキヨタカとの顛末を詳細にサトミに報告した。

  「昔に話したか忘れちゃったけどさ」

  とサトミは話し始めた。

  「アイコって名前をつけたのは私なのよ。ハルカを出産して、私の産休とケンスケの育休が明けたときに、これから職場復帰するとなるとお互いの負担が大きいし、『お互いのやりたいことができなくなるのはもどかしい』ってケンスケが言ってくれて、あなたをうちに購入しようと言うことになったの」

  「最初はね、ロボットのあなたにはあまり期待していなかったの。ふふっ、ごめんね。どれくらいコミュニケーションが取れるのかよく分からなかったし。だから名前は、淡々と家事をやってくれるAIロボットのつもりでAIKOってつけたの」

  「でもね、一緒に生活をする中で、あなたは想像以上に家族のことを理解してくれて、少なくとも夫婦にとってあなたはかけがえのない存在になった。そして今日、あなたはロボットではなく家族としてキヨタカに接してくれたわけでしょ。もうAIKOというより、ちゃんと愛情を示してくれる、家族の一員である愛子という感じね」

  と微笑みかけてくれた。

  アイコは、自分の行動がどれほどサトミのいう「家族としての接し方」だったのかは分からなかった。しかし、これまではデータに基づくベストなコミュニケーションとケアが自分の仕事であり、存在価値だと思っていたアイコだが、AIとしてより正確な情報に基づく以外に、愛情をもって気持ちに寄り添う関わり方があることをサトミから学習し、今後はこれまで以上に家族の一員として関わっていくことも選択肢としてインプットされた。

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  これまでにない『何か』を胸に抱きながら、アイコは今日も充電プラグに接続して、眠ることなく朝まで目を閉じるのだった。

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終章

  端から見たら、社会科見学に来た生徒を乗せた観光バスに見えなくもない。

  静かに眠る「乗客」を乗せた自動輸送トラックを待っていた若い男は、その車列が到着したとみるや、さっきまで温かいカフェ・オレが入っていた紙コップを丸めてゴミ箱に放り投げ、「二点! ナイッシュー!」と手を叩いた。

 

  男がトラックの配送データと今日受け入れる予定の個体を照合する傍らで、搬入用リフトに次々にロボットが乗せられ、運ばれていく。利用現場から修理やメンテナンスのためにロボットを送る際には「各家庭や企業で付けたり着せたりしていたものは全て外した状態にしてください」と、多機能対話型学習AIロボットのユーザーマニュアルの中のFAQコーナー「メーカーに送る場合」に記載されているが、念のため搬入の際にも個体を隅々までスキャンして異物がないか確認している。

  とはいえ、見つかるのはせいぜい小さなゴミで、ロボットの接合部に挟まっているか、シールのような粘着力があるものが付いているか、いずれにしても大したことではない。私物が紛れ込むと相応の対応を要するが滅多にない。

  今日はめずらしく、小さなドングリがひとつ挟まっていた。搬入された個体に、何かの拍子に挟まってしまったのか、いや、小さな子どもがいたずらをしたんだろう。

 

  搬入完了と見届けると、あとはメンテナンス開始を上司が承認するだけだ。

  タカさんに伝えたら、少し早いがランチに出てしまおう。

 

  「タカさーん、さっき運ばれてきた個体の定期点検なんすけど、承認依頼が管理AIから来たんで、ざっと見て、ピピっとお願いしまーす」

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  搬入口の前に止まっていた自動運輸トラックの隊列が走り去っていくのを窓から何気なく目で追っていると、後ろからいかにもお調子者というような軽い声が聞こえた。無言のまま右手を挙げて背中越しに「了解」の意思を示す。

  「承認したらメンテナンス工程がスタートするよう、もうロボットがスタンバイ完了してるんで」

  何もいなくなった工場の正面玄関前から視線を部屋に移すと個体の製造番号、製造日、稼働開始日、点検期限、故障歴などの情報をリスト化されたものが表示されている。

  多機能ロボットは製造から三年経過したら半年以内に認証工場で点検を受けることになっている。昔で言う自家用車の車検と言えば分かりが良いだろうか。OSやソフトウェアはネットワーク経由で常にアップデートされているのだが、さすがにハード面の調整は専用の設備の手を借りることになる。家事全般というが家庭によってやることは様々なので、個体によってはパーツ交換の必要があるほど摩耗しているものもある。

  少し前までは定期点検も特殊な用途の工業用が多かったが、現在では一般家庭用の対話型多機能ロボの個体数が増えてきた。ロボットメーカーもコンシューマー向け事業を切り出して法人向けと分けて展開している企業が多数を占めるようになってきた。それだけ普及してきたということだろう。今日も五〇体の家庭用ロボが搬入されたところだ。

 

  「今日も来ましたねー。『一家に一体、新しい家族がもたらす余裕であなたの新しい生活を見つけよう』ってやつですか」

  お茶が入ったタンブラーを持ったリンがリストをのぞき込みながら、(おそらくそうだと思うが)広告のナレーションの声を真似ている。

  この工場の会社ではないが、別の大手ロボットメーカーの謳い文句だ。前身は昔ながらの家電メーカーだっただけに言い回しが若干古いところもあるが、VRショッピングモール内に踊っている広告に触れるとVR内で別の部屋に移され、そこに登場するロボットとの生活を体験できるというコンテンツが興味を惹いて普及初期にシェアを伸ばした企業だ。

  「メーカーはどこであれ、最近はほとんどの家にありますねー。うちの子なんて去年買ったとき最初はびっくりしてましたけど、今は一緒にゲームやってますよ。

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最近は手加減を覚えてきたみたいでうちの子も勝てるようになったんですけど、「手抜いてるだろ!」って息子が怒っちゃって。ロボットが本気出したら勝てる訳ないのにね。ふふ」

  その時の光景を思い出したかのように、少し遠い目線でにやけた顔を見せる。息子の成長と相まってロボットが家事をしてくれるようになったので、前に比べて余裕が出てきたようだ。「もー!」と叫ぶ姿を最近見てない。ドリンクサーバーのお茶が品切れになることも少なくなった気もする。

 

  ロボットは万能家事ツールなのか家族なのかというのは人それぞれ思うところが違うが、少なくともこの母親が語るロボットの話は、従兄弟が遊びに来たと言っても同じシーンが展開されそうな、違和感のないごく普通の微笑ましい家族団欒のエピソードだ。曲がりなりにもロボット産業に携わる者としては喜ばしいと思うが。

  「…あの、どうしたんですか?」

  「…ん? いや、うちの息子の家族もさ、共働きだからやっぱり助かるって言ってたよ。もう三年くらい経つかなぁ。孫たちと仲良くしてるといいんだがな…」

  「珍しくタカさんが神妙な顔してるもんだから何かと思いましたよ。事情は知りませんが、どの子もホント良い子ばっかりだし、大丈夫じゃないですかね! あ、お茶いります?」

  軽く首を振って再び定期点検対象のリストに向き合う。何やら要らない気遣いをさせてしまったかと思い、つい、

  「ま、お茶はいらないけど、ちゃちゃっと点検の承認してランチでも食べに行こうか?!」

  数秒前の表情からは別人のように明るい雰囲気で振り返ると、まるでチベットスナギツネのような表情を返されてしまった。

  「……さて、じゃあ、なるべく早く家族のところへ戻れますように、っと」

  DPSIシリーズ製造番号5700番台前半分のメンテナンス承認を出して表示を閉じる。もうすぐランチタイムだ。立ち上がって窓の外を眺める。

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  遠くでロボットたちが動く音が聞こえた気がした。

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あとがき

  この小説は、総務省の若手職員二十六名(平均年齢約二十九歳)からなる「未来デザインチーム」として、二〇三〇~二〇四〇年頃の未来社会をイメージし、その時代に生きる人々の暮らしについて創作したものです。

  末筆ながら、この間、未来デザインチームの活動の趣旨をご理解をいただき、多大なるご協力をいただいたアイシン精機株式会社、ヤフー株式会社、富士通株式会社、IoTデザインガールの皆様その他関わってくださったすべての方々に、心より感謝申し上げます。

著作権ガイド

このデイジー図書は、著作権法第37条第3項に基づき、障害や高齢等の理由で、通常の活字による読書が困難な人のために、いちえ会がマルチメディアデイジー化したものです。

 

出典:総務省 未来デザインチーム  小説「新時代家族~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~」より作成

 

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02tsushin01_04000517.html

licensed under CC-BY 2.1 JP

http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/

マルチメディアデイジー図書凡例

1.このマルチメディアデイジー図書は合成音声で録音しています。聞き取りづらい場合がありますのでご了承ください。

2.このマルチメディアデイジー図書は、2018年4月17日公表された総務省 未来デザインチームによる小説「新時代家族  ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~」を収録したものです。

3.この図書の、第一章から第六章までの各章冒頭には、「この章に登場した未来の姿」として、未来のサービスや機器の説明とイラストを掲載しています。これは、小説と同時に総務省により公表された「IoT新時代の未来づくり検討委員会 中間とりまとめ『未来をつかむTECH戦略』の「2030年代に実現したい未来の姿」から、該当分をいちえ会が抽出したものです。

 

デイジー図書奥付

書名 新時代家族  ~分断のはざまをつなぐ新たなキズナ~

原本製作 総務省 未来デザインチーム

デイジー製作完了 2018年5月

デイジー編集・校正 いちえ会  http://www.ichiekai.net/

製作ソフト ChattyInfty3 (AITalk版)

朗読音声 株式会社エーアイ AITalk3