はやぶさ君(くん)の冒険日誌  2010  (ただいま!)

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<2010年再改訂版>

2010年7月30日

※そして伝説へウェブ用に改訂(2011年2月28日)

著者:小野瀬直美

アシスタント:奥平恭子

協力:はやぶさにかかわる方々

観測画像:「はやぶさ」プロジェクトチーム

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著作権ガイド

このデイジー図書は、著作権法第37条第3項に基づき、障害や高齢等の理由で、通常の活字による読書が困難な方のために、マルチメディアデイジー化したものです。



マルチメディアデイジー図書凡例

1.このマルチメディアデイジー図書は、合成音声で録音しています。聞き取りづらい場合がありますのでご了承ください。

2.このマルチメディアデイジー図書は、2010年7月に公表されたJAXA宇宙科学研究所 月・惑星探査プログラムグループ 小野瀬直美氏による「はやぶさ君の冒険日誌 2010 (ただいま!)」を収録したものです。

3.このマルチメディアデイジー図書の階層はレベル2です。


はやぶさ君(くん)の冒険日誌  2010  (ただいま!)

はやぶさ君の冒険日誌


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ことのはじまり

 ここは太陽系( たいようけい )第(だい)3惑星(わくせい)・地球(ちきゅう)。地球には、宇宙( うちゅう )から石(いし)が時々( ときどき )降(ふ)ってくる。隕石(いんせき)だ。この隕石のふるさとは、主(おも)に地球より外側(そとがわ)を回(まわ)っている、火星(かせい)と木星(もくせい)との間を中心(ちゅうしん)とする小惑星帯( しょうわくせいたい )だといわれている。小惑星帯とは地球よりずっと小(ちい)さい岩(いわ)のかたまりがたくさんあるところだ。小惑星(しょうわくせい)は見(み)つかっているものだけで数十万個(すうじゅうまんこ)もあるんだよ。といっても映画(えいが)でよくあるように『100mごとに岩のかたまりがあらわれる』わけではないけどね。小惑星帯はとっても広(ひろ)いんだ。

太陽系の地球とイトカワ

 小惑星には、地球の歴史(れきし)を知(し)るのに重要(じゅうよう)な手がかりが残(のこ)されているらしい。地球に落ちてきた隕石を調べてみると、45億年前に作られたものもあるんだよ。小惑星の中には、一度も熔けたことがないのでは?と言われているものがある。そんな小惑星が何でできているのかを調べれば、地球の中身のこともわかるんだ。地球の場合、一度どろどろに熔(と)けてしまったから、重たいものはほとんど地面(じめん)の奥(おく)のずっと深(ふか)くに沈(しず)んでしまって調べられないんだって。

 小惑星(しょうわくせい)の中には、近地球型(きんちきゅうがた)小惑星と呼(よ)ばれる、地球の軌道(きどう)近くを回っているものがある。これからぼくが出かける小惑星、イトカワもその一つだ。

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この小惑星はアメリカの研究所(けんきゅうじょ)が見つけたもので、正式(せいしき)な名前が付(つ)くまでの間は1998SF36って呼(よ)ばれていたんだ。ぼくの探査(たんさ)が決(き)まったときに、日本のロケットの父、糸川先生のお名前を頂(いただ)いて、この小惑星をイトカワと命名(めいめい)してもらったんだ。

 今のところ、 小惑星のことはそんなに良くわかっていない。遠(とお)くにあるし、小さいからね。どの隕石(いんせき)がどの小惑星から来たかだって、いろんな科学者(かがくしゃ)たちが議論(ぎろん)しているほどだ。もちろん、形が知(し)られている小惑星もごくわずかしかだ。さらに、イトカワの直径(ちょっけい)は約300m〔注1〕と予測(よそく)されていて、これは今までの探査機(たんさき)が撮影(さつえい)した小惑星の中でも格段(かくだん)に小さい。こんな小さな小惑星は、いったいどんな素顔(すがお)をしているのだろう。想像(そうぞう)するだけでわくわくするよ。

 ぼくの使命(しめい)は、これから始(はじ)まるHalfSpace小惑星探査時代(しょうわくせいたんさじだい)に必要(ひつよう)な技術(ぎじゅつ)の数々(かずかず)を、HalfSpace実際(じっさい)に確(たし)かめるパイオニアになることだ。軽(けい)トラックに乗(の)ってしまうほどの大きさのぼくの体の中には、新型(しんがた)のイオンエンジンをはじめとするたくさんの最新技術(さいしんぎじゅつ)と、太陽系大航海時代(だいこうかいじだい)への夢(ゆめ)が詰(つ)まっている。

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ぼくはこれらの最新技術を試(ため)しながら、近地球型(きんちきゅうがた)小惑星イトカワへ行って、その形や表面(ひょうめん)の様子(ようす)をじっくりと調(しら)べることになっている。そして、イトカワ表面の岩のかけらを採(と)ってきて、地球で待(ま)っている科学者たちの手に無事(ぶじ)送り届(とど)けたい。



旅立(たびだ)ち

旅立ち

 2003年5月9日、ぼくはM-V( みゅうふぁいぶ )-5号機(ごうき)のロケットに乗(の)って鹿児島県(かごしまけん)内之浦(うちのうら)から旅立った。打(う)ち上(あ)げの間中ぼくを守(まも)っていてくれた、ロケットの頭(あたま)のカバーがはずれ、ぼくは漆黒(しっこく)の宇宙を進(すす)んでいく。ぼくの足下(あしもと)に浮(う)かぶ地球は、ひときわ碧(あお)い惑星(わくせい)だった。この惑星で待つ人々の期待(きたい)と想(おも)いを胸(むね)に、今日ぼくは旅立つ。ターゲットマーカ〔注2〕に名前を刻(きざ)んでくれた88万人のみんな、必(かなら)ずみんなの名前をイトカワに届(とど)けるからね。そして、イトカワの情報(じょうほう)とかけらを持って、きっと戻(もど)ってくるからね。

 打ち上げ成功(せいこう)と共(とも)に、ぼくの名前は『MUSES-C』から『はやぶさ』になった。鷹(たか)の仲間(なかま)の隼(はやぶさ)が、上空から狙(ねら)った獲物(えもの)めがけて舞(ま)い降(お)り、確実(かくじつ)にこれを捕(と)らえるように、ぼくも上手にイトカワの上に舞い降り、そのかけらを取ってこられるように、という願(ねが)いがこめられている。

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イオンエンジン

 ぼくは太陽電池(たいようでんち)パネルを広げ、太陽の光を電気に変えた。この電気の力でイオンエンジン〔注3〕を動かす。このエンジンを本格的(ほんかくてき)に使うのは、ぼくが初(はじ)めてなんだよ。イオンエンジンは普通(ふつう)の化学推進(かがくすいしん)〔注4〕と較(くら)べると、とても効率(こうりつ)がよいので、持っていく推進剤(すいしんざい)〔注5〕が少なくてすむんだ。でも、力はそんなに強くないから、長い時間をかけて少しずつ少しずつ加速(かそく)してゆくんだよ。

 正しい方向に、正しい量(りょう)だけ、正しいタイミングで、加速し続けなくてはいけないのはとっても難(むずか)しいけど、ぼくの持っている最新(さいしん)のコンピュータと、地上にいる人たちが毎週(まいしゅう)送ってくれる予定表(よていひょう)を合(あ)わせれば、きっと大丈夫(だいじょうぶ)。

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はやぶさ

 ほぼ毎日、地球にいる科学者たちは、ぼくと地球との間の距離(きょり)や、ぼくの速度(そくど)を測(はか)ってくれていて、ぼくの進(すす)むべき道を何度も計算しなおしながら予定表を作ってくれる。みんなといっしょに体調(たいちょう)チェックもする。太陽電池OK、計測機器(けいそくきき)の動作OK、各部分の温度OK、コンピュータも元気いっぱいだよ。イオンエンジンも快調(かいちょう)のようだ。さぁ、これからイトカワに向かう長旅(ながたび)の始(はじ)まりだ。



地球スイングバイ

地球

 2004年5月19日、ぼくは再(ふたた)び地球に近づいた。地球の重力(じゅうりょく)を利用してグンと加速(かそく)〔注6〕するためだ。なぜこのようなことをするのかというと、理由(りゆう)は簡単(かんたん)だ。地球に引(ひ)っ張(ぱ)ってもらって速度をあげればその分、推進剤(すいしんざい)が節約(せつやく)できるからなんだ。推進剤を減(へ)らせられれば、その分観察(かんさつ)の道具(どうぐ)を持っていけるからね。

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地球スイングバイ

ただし、狙(ねら)ったとおりの速度(そくど)で、狙ったとおりの場所(ばしょ)を、狙ったとおりの時間に通(とお)り抜(ぬ)ける必要(ひつよう)があるんだ。でないと、思ってもいなかった方向に飛(と)ばされてしまう。だから、地球スイングバイの前後(ぜんご)には、イオンエンジンもしばらく止(と)めて、特に念入(ねんい)りに、地球の科学者たちに、ぼくの距離(きょり)と速度を測ってもらったんだ。ぼくの軌道をできるだけ正確(せいかく)に調(しら)べて、地球スイングバイの前にちゃんとぼくが微調節(びちょうせつ)できるようにね。



長い旅路(たびじ)

 地球スイングバイの後は、ひたすら地球から離(はな)れ、イトカワへ向かって進んでいく。ぼくの出した電波(でんぱ)が地球に届(とど)くまでの時間は、どんどん長くなっていく。通信(つうしん)もゆっくり〔注7〕としか出来(でき)なくなる。

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はやぶさ

 やがて、太陽からの距離(きょり)も遠くなり、イオンエンジンをつけるだけの電気(でんき)がつくれなくなった。ここは寒(さむ)いから、ぼくはたくさんのヒーターをつけて、凍(こお)り付(つ)かないようにしているんだけど、今は、どのヒーターをつけるかまで、ちゃんと考えないといけないくらいなんだ。でも、これも計画通り。ぼくのコンピュータには、そのためのプログラムがちゃんと入っている。それにあともう少し辛抱(しんぼう)すれば、また、太陽に近づくから、イオンエンジンも動かせるようになるんだ。

 2005年7月17日、地球と太陽とがちょうど重(かさ)なった。地球と連絡(れんらく)が取れない日が一週間ほども続く。二週間くらいなら、ぼくは一人で旅を続けられるはずなんだ。だけど、これまでの旅路(たびじ)では地球にいる科学者たちといつも連絡を取っていたから、いざ連絡が取れないとなるとちょっと不安もあった。だから、また地球との連絡が取れたときにはうれしかった。



イトカワが見えた

 2005年7月29日、スタートラッカ〔注8〕でイトカワを撮影(さつえい)した。

たくさんの星の中で、イトカワは予想通(よそうどお)りの位置(いち)にいて、予想通りの明るさの変化(へんか)〔注9〕をしていたよ。今では、ぼくの一番近くにある天体(てんたい)がイトカワだ。今までは地球の科学者たちに決(き)めてもらったとおりの道をたどってきたけど、これからは、自分の目でもイトカワの位置(いち)を確認(かくにん)しながら舵(かじ)を取っていく。

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地球はもう遠くになってしまったから、ぼくが自分の目で見た情報(じょうほう)がとっても重要(じゅうよう)になって来るんだ。

イトカワが見えた



ようやくイトカワに到着(とうちゃく)!

 2005年9月12日午前10時、しずしずとイトカワに近づいていたぼくは、最後(さいご)のブレーキをかけ、イトカワの上空(じょうくう)20kmに静止(せいし)した。長い方の直径(ちょっけい)が540mほどの、ラッコみたいな形をしたイトカワの上には、思った以上に大きな岩がたくさん転(ころ)がっていた。小さな小惑星(しょうわくせい)って、こんな素顔(すがお)をしているんだ! 初(はじ)めて見たよ!

 ぼくはイトカワに寄(よ)り添(そ)って飛(と)びながら、一緒(いっしょ)に太陽のまわりを回る。イトカワが12時間周期(しゅうき)で自転(じてん)してくれているおかげで、ぼくはいろいろな角度(かくど)からイトカワを観測(かんそく)し、写真を撮(と)ることができる。これらの写真を使って、まず、イトカワ全体の大まかな地図(ちず)を作って、それから、ぼくがどこに降(お)りるかを決(き)めるんだそうだ。

 2005年9月30日からは、イトカワから7kmの位置(いち)まで近づいて観測を続ける。

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やっぱり岩だらけのラッコだ。どうやってできたのだろう? ほんとうに不思議(ふしぎ)だ。

イトカワの形

 目で見える普通(ふつう)の光で写真を撮(と)る他にも、赤外線(せきがいせん)で小惑星表面の鉱物(こうぶつ)の組み合わせを調べたり、X線(エックスせん)で地表(ちひょう)にどのような元素(げんそ)が含(ふく)まれているかを調(しら)べたりする。X線や赤外線などの、目に見えない光を使うと、小惑星の材料についての情報(じょうほう)が得(え)られるんだ。

 ぼくの送ったデータを科学者たちが解析(かいせき)した結果(けっか)、イトカワの材料は普通(ふつう)コンドライト〔注10〕とほぼ同じだそうだ。また、地域(ちいき)による材料の違(ちが)いはないらしい。とはいえ、明るい部分や暗(くら)い部分、岩だらけの部分や小石を敷(し)き詰(つ)めたような部分と、イトカワにはいろいろな模様(もよう)が見られるけどね。

 それから、イトカワの密度(みつど)は1.9g/ <math xmlns="http://www.w3.org/1998/Math/MathML"><mi mathvariant="normal">c</mi><msup><mi mathvariant="normal">m</mi><mrow><mn mathvariant="normal">3</mn></mrow></msup></math>で、普通コンドライトの密度3.2g/ <math xmlns="http://www.w3.org/1998/Math/MathML"><mi mathvariant="normal">c</mi><msup><mi mathvariant="normal">m</mi><mrow><mn mathvariant="normal">3</mn></mrow></msup></math>と比べて、ずっと小さい。これはイトカワが、すかすかのがれきの積(つ)み重(かさ)なりであることを意味(いみ)するんだ。これは、重力が小さいイトカワならではのことで、地球みたいに大きな惑星ではあり得(え)ないことだよ。

イトカワ



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着陸(ちゃくりく)のリハーサル

 2005年11月4日、着陸(ちゃくりく)の練習(れんしゅう)をすることになった。思ってもみなかったほど岩だらけで危(あぶ)ないイトカワ。なのに、ぼくの向(む)きを調節(ちょうせつ)するのに必要(ひつよう)な弾(はず)み車〔注11〕は、3つのうちの2つが壊(こわ)れてしまっている。その替(か)わりに、ぼくは12個の小さな化学推進(すいしん)エンジン〔注3〕を使って向きや速度(そくど)を調節しているんだけど、シュッと吹(ふ)くタイプのエンジンだけに、さじ加減(かげん)がなかなか難(むずか)しい。

はやぶさ

 この日は、イトカワに700mの距離(きょり)まで近づいて引(ひ)き返(かえ)した。近くで見たイトカワの姿は、出発前(しゅっぱつまえ)にみんなと考えていた「小惑星」の姿(すがた)とはあまりにも違(ちが)う。

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 2005年11月9日、今度(こんど)は70mの距離(きょり)まで近づく。思った通りの場所に降(お)りるのはとても難(むずか)しい。

今日は、ターゲットマーカを投(な)げて、ぼくがそれを見つけられるかを試(ため)してみた。こちらの方はいたって順調(じゅんちょう)だ。



ミネルバちゃんについて

ミネルバちゃん

 今までぼくと一緒(いっしょ)に長い旅をしてきた、小さなロボットのミネルバちゃんを紹介(しょうかい)しよう。ミネルバちゃんは16本のとげを持っていて、小惑星の上をぴょんぴょんと飛(と)び跳(は)ねながら動くことになっている。これは、重力(じゅうりょく)のとても小さな小惑星の表面(ひょうめん)で移動(いどう)するために、新しく考え出された動き方なんだ。ミネルバちゃんはカメラを持っていて、小惑星の表面から見た写真をぼくに送ってくれる。それをぼくが地球に向かって送信(そうしん)する、という予定になっている。

ミネルバちゃんをイトカワに降ろす

 2005年11月12日、いよいよミネルバちゃんをイトカワ表面に向けて降(お)ろすことになった。ずーっと冬眠(とうみん)していたミネルバちゃんを、ぼくは静(しず)かに暖(あたた)めた。ぼくはミネルバちゃんを抱(かか)えたまま、ゆっくりとイトカワに近づく。

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そして、合図(あいず)と同時にミネルバちゃんを切(き)り離(はな)した。ミネルバちゃんは長い眠(ねむ)りから覚(さ)め、ぼくの太陽電池の写真を撮(と)ってくれたんだよ。だけど、残念(ざんねん)ながら、ミネルバちゃんからのイトカワに着いたという報告(ほうこく)はなかった。ミネルバちゃんは、今もイトカワと一緒(いっしょ)に太陽のまわりを回っているんだろうなぁ。

太陽電池の写真



ターゲットマーカ  そして一回目の着陸

 2005年11月20日。イトカワと一緒に太陽のまわりを回っているうちに、だんだんとイトカワの様子(ようす)がわかってきた。いよいよイトカワ表面の岩を取りに行く。地球に落ちてきた隕石(いんせき)と、望遠鏡(ぼうえんきょう)で観測(かんそく)した小惑星とを結(むす)ぶ鍵(かぎ)であるイトカワのかけら。これを地球に持って帰(かえ)ることがぼくの使命(しめい)の一つなのだ。

着陸地点を探す

 岩(いわ)だらけのイトカワに近づいていくのは、とても危険(きけん)だ。なぜなら、ぼくは、太陽から離(はな)れた所でも動(うご)けるように、大きな太陽電池パネルを広げている。そして、遠くまで旅をするために、できるだけ軽く作られている。だから、岩(いわ)にぶつかるとHalfSpace壊(こわ)れてしまうかもしれないんだ。そこで、ぼくはレーザーを使って地面(じめん)からの距離(きょり)を測ったり、太陽電池パネルの下に岩(いわ)がないかを確(たし)かめたりしながら、慎重(しんちょう)に近づくんだ。

 ぼくの送った写真を見て、地球にいる科学者たちが選(えら)んだ場所は、「ミューゼスの海〔注12〕」と呼(よ)ばれるイトカワの中では比較的(ひかくてき)平(たい)らな部分だ。

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直径40mほどしかないその場所に、ぼくはゆっくりと降(お)りていく。地球にいる科学者たちも、刻一刻と変わるデータを、じっと見守っている。

はやぶさの影

 イトカワまでの距離が100mになったとき、地上からの信号が来た。「Go」だ。あとは、自分で判断しながら降りて行くんだ。なぜなら、地球にいる科学者たちに問い合わせていると、その答えが返ってくるまでに30分以上もかかってしまうからだ。とても待ってはいられないよ。

 イトカワから40mの距離まで来たところで、88万人のみんなの署名(しょめい)と想(おも)いの詰(つ)まったターゲットマーカを放出(ほうしゅつ)した。虚空(こくう)の中を緩(ゆる)やかに降下(こうか)してゆくターゲットマーカ。その影(かげ)と、ぼくの影だけがイトカワの表面にくっきりと浮(う)かび上がっていた。それに導かれるように、ぼくは、イトカワに近づいていく。

ちきゅう、たいよう、はやぶさ、イトカワの位置関係

 あと17mだ。ちょっと立ち止まって、アンテナを切り替えてから、太陽電池パネルをイトカワ表面(ひょうめん)と平行(へいこう)にするために、ちょっとだけ向きを変えた。もう一度、慎重(しんちょう)に降下(こうか)をする。その時、太陽電池パネルの下に何かがあるのを感じたんだ。

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いったんは戻(もど)ろうかと思ったんだけど、横に動いてから降(お)りた。そのほうが安全だと考えたんだ。やがてぼくは、イトカワ表面で2回ほど跳(は)ね返(かえ)ってから、横たわって着陸(ちゃくりく)した。

 何とかして立ち上がろうとしたけど、どうもうまくいかない。本物(ほんもの)のイトカワは、ぼくらが前から想像(そうぞう)していたものとは、あまりにも大きく違(ちが)っていたのだ。こっちに来てからぼくが地球に送った、本物(ほんもの)のイトカワのデータを見た科学者達は、予定表を書きなおしては送ってくれている。だけど、それでも間に合わないほど、「知らなかったこと」に満(み)ちあふれている場所(ばしょ)に、ぼくは今、来ているんだ。ここにはたくさんの危険(きけん)な岩があるし、熱(あつ)い。さすがにもうイトカワから離(はな)れなければいけない。そうぼくが思ったとき、地球からも離陸(りりく)するように連絡(れんらく)が来た。残念(ざんねん)に思ったが、ぼくはイトカワから飛び立った。

イトカワの表面

 2005年11月21日。ふと気がついてみると、ぼくはイトカワから遙(はる)か遠くに来ていた。そして、地球にいる科学者たちから、もう一度イトカワに近づくようにとの連絡を受けた。ぼくだってもう一度挑戦(ちょうせん)して、今度こそはイトカワの岩のかけらを手に入れたい。



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岩のかけらの拾(ひろ)い方

 この辺(へん)で、岩のかけらを採取(さいしゅ)する方法を紹介(しょうかい)しよう。

 ぼくがここに来るまでは、イトカワの表面がどんな様子なのかを、誰(だれ)も知らなかった。砂(すな)に覆(おお)われているのか、石ころが転(ころ)がっているのか、それとも大きな一枚岩(いちまいいわ)なのか。だから、イトカワの表面がどんな状態(じょうたい)でも、岩のかけらを取ってこられるように、いろいろと考(かんが)えて実験(じっけん)を重(かさ)ねてくれたそうだ。

 重力(じゅうりょく)の小さな小惑星上で、どうやって岩のかけらを拾(ひろ)うのか。地球上や月面上(げつめんじょう)でやるように、シャベルをつっこむ、という訳(わけ)にはいかない。そんなことをしたらぼくの方が反動(はんどう)で吹(ふ)っ飛(と)ばされてしまうからね。小惑星の小さな重力では、シャベルをつっこもうとするぼくを地上(ちじょう)に引き留(と)めることはできないのだ。


 そこで思い出したのが、水に石を投(な)げ込(こ)んだときの水しぶきだ。

あれと同じように、イトカワの表面にものすごい速(はや)さで金属(きんぞく)のかたまりをぶつけて、飛(と)び出してくる『岩しぶき』を、先の拡(ひろ)がった筒(つつ)を使って集めて、ぼくの内ポケットに詰(つ)める。イトカワの重力は小さいから、飛び出した岩しぶきの多くは、イトカワに取(と)り返(かえ)されることなく、ぼくの内ポケットまで入って来るんだ。

かけらを拾う方法



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二回目の挑戦(ちょうせん)

 2005年11月25日、ぼくは再(ふたた)びイトカワ表面を目指(めざ)す。前回は慎重(しんちょう)になりすぎたので、今度はもっと積極的(せっきょくてき)に岩のかけらを拾(ひろ)おうと思う。目指(めざ)す地点は、前回と同じミューゼスの海だ。少しずつ、少しずつ近づいていくと、なんと、88万人のみんなの署名(しょめい)の載(の)ったターゲットマーカが見えてきた。また見守(みまも)ってくれるんだね。今度も、ぼくは導(みちび)かれるようにイトカワの表面をめざした。ゆっくりと、そして石を拾(ひろ)おうという強(つよ)い意志(いし)を持って。

 2005年11月26日午前7時7分、ぼくはイトカワの表面に降(お)り立ち、予定通(よていどお)りに動いてから飛(と)び立った。とても緊張(きんちょう)していたから、金属(きんぞく)のかたまりを上手(じょうず)にぶつけて、イトカワのかけらを採(と)れたかどうかについては、余(あま)りよく覚(おぼ)えていない。

2度目の着陸



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トラブル発生(はっせい)

 2005年11月26日午前11時、地上の人たちの言うとおりに、化学推進(かがくすいしん)エンジンを使ってスピードを下げた。続いて、向きを調節(ちょうせつ)しようとしたときに、ぼくは気(き)を失(うしな)った。後(あと)で聞いたところによると、化学推進用の推進剤(すいしんざい)が漏(も)れたらしい。これが、思ってもいなかった方向に吹(ふ)き出したせいで、ぼくは変(へん)な方向を向いてしまった。そして、太陽電池(たいようでんち)パネルに十分な光があたらなくなって、電気も急(きゅう)に足(た)りなくなった。さらに、ぼくの体に付いた推進剤(すいしんざい)がどんどん蒸発(じょうはつ)〔注13〕して、体温(たいおん)も大幅(おおはば)に下がった。

 2005年11月29日、気がついてみると、ぼくは太陽電池を太陽に向けたまま、ぐるぐると回っていた。これならば、比較的(ひかくてき)安全(あんぜん)に地球の科学者たちの指示(しじ)を待(ま)つことができる。

 2005年12月2日。化学推進(かがくすいしん)エンジンを動かそうとしてみる。が、力がでない。困(こま)った。

はやぶさ

 2005年12月4日、地上の科学者から、キセノンガスをそのまま吹(ふ)いてみろ、といわれた。キセノンガスはイオンエンジンに使われているものだ。それを、イオンにしないでそのまま吹くなんて、思いも寄(よ)らない指示(しじ)だった。

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けど、とりあえずやってみると、徐々(じょじょ)に向きが変わって、地球にいる科学者たちと連絡(れんらく)が取りやすくなった。

 2005年12月8日、臼田宇宙空間観測所(うすだうちゅうくうかんかんそくじょ)〔注14〕との通信(つうしん)中にまたもや気を失う。体の中に残(のこ)っていた推進剤が、また思ってもいなかった方向に吹き出してしまったらしい。太陽電池パネルも太陽の方向から大きくはずれてしまい、力がでない。地球の方向も見失(みうしな)ってしまった。後はただ、ぐるぐる回りながら、臼田からの声が聞こえるのを待つしかない。地球にいる科学者たちも、きっとぼくを捜(さが)していてくれるよ。それまで何とかして持ちこたえなきゃ。ぼくは自分に言い聞かせながら、「ここにいるよ」と電波(でんぱ)を出し続けた。

 地球からも、みんなが必死(ひっし)になって、ぼくを捜(さが)していてくれたそうだ。毎日毎日、ぼくの居(い)そうな方向にアンテナを向け、いろいろ条件(じょうけん)を変(か)えながら、ずっと、ずっと、捜(さが)していてくれたそうだ。

何とかしてぼくを見つけようと、新しいプログラムを書いたり、新しい装置(そうち)を作ったりしてくれていたらしい。

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一週間が過(す)ぎ、一ヶ月が過ぎても、返事(へんじ)の来ない宇宙(うちゅう)に向かって、ずっと、ずっと呼(よ)びかけてくれていたそうだ。果てしないノイズの波の向こうに、救いを求めるぼくの手が、今日こそは見つからないかと、臼田での受信状況をビデオに録画しては、何度も確認してくれていたそうだ。

はやぶさに呼びかける



つながった!

 2006年1月26日、地球からの呼びかけが、かすかに聞こえた。20秒(びょう)ほど聞こえて、その後30秒ほどは何も聞こえない事から考えて、ぼくは地球とはかなりずれた方向を軸(じく)にして、回っているようだ。でも、そのわずか20秒の間に、ちゃんと連絡事項(れんらくじこう)が書いてある。ぼくは必死(ひっし)になってその質問(しつもん)に答えた。後でわかったことだが、地球にいる科学者たちは、1月23日にぼくが50秒周期(しゅうき)で回っているのを見つけてくれたらしい。そして、20秒の間で連絡をつける方法を、考え出してくれたそうだ。

つながった!

 地球との連絡(れんらく)が取れるようになって本当によかった。ぼくを捜(さが)してくれた科学者のみんな、そして、ぼくを心配してくれたもっとたくさんのみんな、本当にありがとう。

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はやぶさ

 2006年3月1日、久しぶりに地球からの距離(きょり)を測(はか)ってもらえるまでに回復(かいふく)した。科学者たちに教(おし)えてもらって、少しずつ、少しずつ、キセノンガスを吹(ふ)いて、アンテナを地球に向けられるようにしたんだ。

 2006年6月1日、連絡(れんらく)が取れるようになったおかげで、だんだんと今の状況(じょうきょう)がわかってきた。地球にいる科学者たちに体調(たいちょう)を詳(くわ)しく報告(ほうこく)したり、教えられたとおりに、ヒーターをつけて暖(あたた)めてみたり、イオンエンジンをつけてみたりしたんだ。今までに、向きを安定(あんてい)させるための弾(はず)み車が2台故障(こしょう)し、化学推進(かがくすいしん)エンジンのための推進剤(すいしんざい)もなくなってしまっている。たくさん積(つ)んできた電池(でんち)も、いくつかだめになってしまっているらしい。しかも、ぼくが気を失っている間に、2007年に地球に帰る軌道(きどう)に乗(の)り遅(おく)れ〔注15〕てしまったらしいのだ。かなり大変(たいへん)なことになってしまっている。

 でも、ぼくはまだ生きているし、地球と連絡も取れる。太陽電池も、イオンエンジンも、キセノンガスもある。

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もしかしたら、少しは岩のかけらを拾(ひろ)えているかもしれないって、言ってくれた人もいるよ。正確(せいかく)なところは地球に帰(かえ)ってからでないとわからないそうだけど。科学者たちは2010年に地球に帰る軌道(きどう)も計算してくれている。簡単(かんたん)な事ではないらしい。でも、ぼくはきっと帰ってみせる。



帰還(きかん)への準備(じゅんび)

太陽ではやぶさを温める

 まず、ちょっと速(はや)めに回りながら、ヒーターをつけて、残(のこ)っている推進剤(すいしんざい)を乾(かわ)かした。推進剤が少々吹き出しても、ぐるぐる回っていれば、ぼくの向きは変わりにくいからね。今は、太陽から遠い所にいるから、体を十分に暖(あたた)めることは出来なかったけど、しばらくの間はこれで大丈夫(だいじょうぶ)。

 2006年6月、太陽光の圧力(あつりょく)〔注16〕を味方(みかた)につけた。今までは、ぼくの向きを勝手(かって)に変える邪魔者(じゃまもの)だとばかり思っていたけど、太陽光の圧力を考えに入れて向きを調節(ちょうせつ)すれば、キセノンガスを節約(せつやく)できるそうだ。

 2006年7月から9月にかけて、電池を充電(じゅうでん)した。壊(こわ)れた電池〔注17〕には本当は充電したくないんだけど、切(き)り離(はな)せないから仕方(しかた)がない。

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ぼくは意を決して、壊れた4個の電池のようすをじっと見ながら、地球と連絡が取れる間だけ、慎重(しんちょう)に、慎重に、少しずつ、少しずつ、充電したんだ。

 2006年12月中ごろ、また太陽に近づいてきたので、また、ちょっと速(はや)めに回りながら、ヒーターをつけて、推進剤を乾かした。

せっかく採(と)ってきたイトカワのかけらに推進剤が付(つ)いたら嫌(いや)だからね。かけらの入った入れ物をリエントリーカプセルに運(はこ)ぶ通路(つうろ)も、念入(ねんい)りに暖(あたた)めた。

 2007年1月17日、いよいよ、イトカワのかけらが入っているかもしれない入れ物をリエントリーカプセルに運ぶ。ぼくは、夏の間に充電した電池を使ってこの仕掛(しか)けを動かした。やりなおしのできない、一発勝負(いっぱつしょうぶ)だ。地上の科学者と一緒(いっしょ)に確認(かくにん)をしながら、一つ一つ、動かしていく。最後(さいご)に蓋(ふた)を閉(し)めると、カプセルの温度(おんど)がちょっとだけ下がった。成功(せいこう)だ。

ばいばい、イトカワ

 2007年2月22日、久しぶりにイオンエンジンをつけた。調子(ちょうし)は上々(じょうじょう)だ。イオンエンジンを乗(の)せている台(だい)をちょっと傾(かたむ)けながら吹(ふ)くと少しだけ向きが変わる。これからは、この方法を、今までよりももっと計画的(けいかくてき)に使うことにする。

 そろそろ回るのをやめる時期(じき)が来た。地球に帰るためには、狙(ねら)った方向に向けて、イオンエンジンを吹(ふ)きつづけなくてはいけないからね。これからしばらくは、イオンエンジンをつかって、ぼくの回転を止める。

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ゆっくりとゆっくりと。慎重(しんちょう)にね。

 2007年4月20日、イオンエンジンのうちの1台の調子(ちょうし)が良(よ)くない。地球にいる科学者たちは、イオンエンジン1台でも地球に帰れる予定表(よていひょう)を作ってくれた。



地球への道

 2007年4月25日、ぼくはイトカワでの想(おも)い出を胸(むね)に、地球に向かって旅立(たびだ)つ。この不思議(ふしぎ)なな形をした小惑星も見納(みおさ)めか、と思うとちょっと名残惜(なごりお)しい。ここに来て、たくさんの観測をする間に、ぼくは、満身創痍(まんしんそうい)になってしまった。けれども、その度に、ぼくを支えてくれているみんなの創意工夫(そういくふう)で乗り越えて来たんだ。だからこそ、これからもうひと仕事、岩のかけらの入っている可能性(かのうせい)の高いカプセルを、何とかして地球で待っている科学者たちの手に送り届(とど)けたい。

 2007年6月9日、太陽に近づいた。今が一番暑(あつ)いときだ。地球にいる科学者たちと連絡を取りながら、体温(たいおん)の上昇(じょうしょう)や、イオンエンジンを吹(ふ)く向きに気を配(くば)る。みんなは、ぼくの送るデータを見ながら、毎日、向きの微調節(びちょうせつ)を教えてくれる。ぼくがちゃんと正しい道を進んでいるかも、こまめに計算してくれているよ。向きを変える方法が少なくなってしまった分、来たときよりも細(こま)かいところまで気を使わなければならない。

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でもぼくは、地球にいる科学者たちの送ってくれる予定表を信じて、地球へ戻(もど)る長い旅路(たびじ)を一歩、一歩、進んで行く。高村光太郎さんの詩(し)「道程(どうてい)」のように、ぼくの歩いたあとが道になるんだ。



あかりちゃんとの共同作業(きょうどうさぎょう)

 2007年7月26日、あかりちゃんがイトカワの写真(しゃしん)を撮(と)ってくれた。あかりちゃんは、赤外線(せきがいせん)で宇宙を見る望遠鏡(ぼうえんきょう)を積(つ)んだ、赤外線天文衛星(てんもんえいせい)で、宇宙に浮(う)かんでいるから、地球の空気に邪魔(じゃま)されずに星を見られるんだよ。地球の周りを回りながら、空一面の写真を撮って、赤外線で見た宇宙の地図(ちず)を作っているそうだ。イトカワは太陽(たいよう)の熱(ねつ)で温(あたた)まっているから、赤外線で見ると案外(あんがい)明るいんだよ。あかりちゃんが送ってくれた写真を3枚重(かさ)ねて見ると、恒星(こうせい)の間をイトカワが走り抜けていくのが見える。

近くで見たイトカワ(可視)あかりちゃんのとったイトカワ(赤外線)

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恒星と比(くら)べると、イトカワはずっと地球の近くにいるからね。あかりちゃんからイトカワがどんな風(ふう)に見えるかには、イトカワの大きさや形(かたち)、回転(かいてん)、表面(ひょうめん)の状態(じょうたい)などが関係(かんけい)しているんだよ。あかりちゃんの写真と、ぼくが小惑星まで行って調(しら)べてきた情報(じょうほう)とをうまく組(く)み合(あ)わせて、関係式(かんけいしき)を作れれば、あかりちゃんが撮った小惑星の写真から、いろいろな情報(じょうほう)が引き出せるようになる。あかりちゃんは、一人でたくさんの小惑星を見ることができるから、効率的(こうりつてき)だよね。



帰還(きかん)への旅(たび)。再(ふたた)び

こっちも使えるぞ!

 2007年7月28日、イオンエンジンCの点火(てんか)に成功(せいこう)した。ぼくは4台のイオンエンジンを持(も)っていて、その中のBとCとDを使ってきたんだ。けど、イオンエンジンCを使うのは、ずいぶん久しぶりになる。太陽からの距離(きょり)や、体温がちょうど良くなるのを待ってから、恐(おそ)る恐(おそ)る点火してみたんだ。意外とすんなりついたし、調子(ちょうし)もよさそうだったので、イオンエンジンDを休ませて、しばらくはイオンエンジンCを使っていく。

 2007年10月18日。ここで、いったん停止(ていし)して、という連絡(れんらく)が来た。予定通りに進んだので、太陽から離(はな)れるしばらくの間は、お休みになるのだそうだ。

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遠日点のはやぶさ

ぼくは、イオンエンジンを止めて、また、くるくる回りながら、太陽の周りをゆっくりと回ることになった。「冬眠(とうみん)モード」と呼ぶ人も多いけど、ぼくは完全には寝(ね)ていない。運用時間(うんようじかん)には、体調(たいちょう)の報告(ほうこく)もしているし、地球からの距離(きょり)や速度(そくど)も測(はか)ってもらっているんだよ。

 ただ、イオンエンジンを吹(ふ)いていないし、回っているから、向きとか軌道(きどう)がぶれにくくて、ちょっと楽(らく)、とも言えるね。

 この後、2008年の2月ごろと、2009年の8月ごろに遠日点を通過した。ぼくの軌道(きどう)の中で太陽からの距離(きょり)が大きくなる時期だ。寒(さむ)いし電力(でんりょく)がぎりぎりなので、地球に帰るのに必要な機械(きかい)の周りのヒーターの優先順位(ゆうせんじゅんい)を上げて、凍(こお)りつかないようにする。

 2009年2月4日、イオンエンジンを再点火(さいてんか)した。予定通りの力をちゃんと出し続けているか、向きは大丈夫か、何度もチェックしながら慎重(しんちょう)に加速(かそく)を続けていく。

 2009年11月4日、イオンエンジンDの調子が変だったので、いったん止めて地球にいる科学者たちに報告した。イオンエンジンの部品の一つ、中和器(ちゅうわき)が故障(こしょう)したらしい。ずいぶん長い間、使い続けてきたからなぁ。イオンエンジンCも傷(いた)みだしている。検討(けんとう)に検討(けんとう)を重ねた科学者たちが教えてくれたのは、イオンエンジンのAとBを組み合わせる方法だった。

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イオンエンジンAの中和器(ちゅうわき)は新品同然(しんぴんどうぜん)なんだ。万が一のための配線(はいせん)が役に立ったんだって。

 2009年の暮(く)れ、ぼくはイオンエンジンをいったん止めて、地球からの距離(きょり)と速度をより正確(せいかく)に測(はか)ってもらった。そして、2010年1月1日、再びイオンエンジンを点火し、地球帰還(きかん)への道を慎重(しんちょう)に進み始めた。



最後(さいご)の試練(しれん)

 2010年3月27日、ぼくはイオンエンジンを一旦(いったん)止めた。これからは最後の軌道微調節(きどうびちょうせつ)だ。何度も丁寧(ていねい)に距離(きょり)を測(はか)ってもらっては、イオンエンジンを吹いて少しずつ軌道(きどう)を変える事を繰(く)り返(かえ)す。地上の科学者(かがくしゃ)が綿密(めんみつ)に計算してくれた予定表に従って、丁寧に、丁寧に軌道を調節(ちょうせつ)していく。まるで二人三脚(ににんさんきゃく)のようだ。

 2010年6月13日、ようやく地球に戻(もど)ってきた。旅立った時と同じ碧(あお)い惑星(わくせい)。ついに戻ってきた!ぼくの感激(かんげき)は、旅立ちの時以上だ。

カプセルを切り離す

 さあ、ここからが正念場(しょうねんば)。この長い冒険(ぼうけん)の旅で手に入れた貴重(きちょう)なイトカワの岩のかけらを、地球で待っている人たちの手に無事(ぶじ)手渡(てわた)さなければならない。大事に持ってきた岩のかけらの入ったカプセルを、切(き)り離(はな)し、地上に向(む)かって落とす。これがなかなか難(むずか)しい事なんだ。

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はやぶさが撮った地球の写真

 大気圏(たいきけん)に再突入(さいとつにゅう)する3時間前、ぼくは思いきってリエントリーカプセルを切り離(はな)した。計算通りの角度(かくど)、速度(そくど)で、カプセルは地球へと向かっていく。そして、ぼくは地球の方向(ほうこう)にカメラを向(む)け、撮影(さつえい)を行った。写真(しゃしん)のデータを送っている途中(とちゅう)で、うっちーさん〔注19〕が見えなくなってしまったけど、肝心(かんじん)なところは上手(うま)く送れたらしい。

 やがて、カプセルは大気圏(たいきけん)に突入(とつにゅう)し、カプセルは熱(あつ)いプラズマに包(つつ)まれた。そのプラズマを切(き)り裂(さ)くように中華鍋(ちゅうかなべ)の形のカプセルは進む。熔(と)けないでくれ。壊(こわ)れないでくれ。通信(つうしん)の途絶(とだ)えたカプセルをぼくは祈(いの)るような気持ちで見守る。やがて、ぼくも大気圏(たいきけん)に飛(と)び込み、特大(とくだい)の流(なが)れ星(ぼし)になった。

みんな、ただいま!

 熱(あつ)い外側(そとがわ)の殻(から)をはずし、身軽(みがる)になったカプセルは十字型(じゅうじがた)のパラシュートを広げ、ゆっくりとオーストラリアのウーメラ砂漠(さばく)に着陸(ちゃくりく)したそうだ。

 すぐに、やってきた研究者(けんきゅうしゃ)たちが上空(じょうくう)からカプセルを確認(かくにん)し、翌日(よくじつ)慎重(しんちょう)に回収(かいしゅう)した。どうやら、中身(なかみ)も無事(ぶじ)だったらしい。



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そして伝説ヘ

イトカワの鉱物の研究

 これでぼくは任務(にんむ)を完了した。誇(ほこ)りと喜(よろこ)びを胸(むね)に、ぼくは気ままな旅に出る。ぼくの持ち帰ったカプセルからは、地球の鉱物(こうぶつ)とは明らかに違う、小惑星イトカワの石があったらしい。とても小さいそうだけど、ぼくが旅立ってから7年の間に顕微鏡(けんびきょう)も進歩したっていうから、きっと大丈夫。

これから、いろいろな人々が、いろいろな方法で分析して、太陽系(たいようけい)の昔に関する情報が得られるだろう。でも、このことはまた別(べつ)の機会(きかい)にお話ししよう。


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「はやぶさ」についてもっと詳しく知りたい方は、以下のホームべージをご覧下さい。

「はやぶさ」地球ヘ!~帰還カウントダウン~

https://hayabusa.jaxa.jp/

<2010年再改訂版>

2010年7月30日

※そして伝説へウェブ用に改訂(2011年2月28日)

著者:小野瀬直美

アシスタント:奥平恭子

協力:はやぶさにかかわる方々

観測画像:「はやぶさ」プロジェクトチーム



注

〔注1〕 イトカワの直径(ちょっけい):これは2003年当時(とうじ)の予測(よそく)。実際(じっさい)の直径(ちょっけい)は540mで、ちょっと大きかった。


〔注2〕 ターゲットマーカ:ぼくが着(つ)くまでは、小惑星(しょうわくせい)イトカワの表面(ひょうめん)がどんな様子(ようす)かなんて、だれも知(し)らなかったんだ。だから、イトカワに着陸(ちゃくりく)する時には、ぼくが自分でターゲットマーカを落(お)として目印(めじるし)をつけることになった。重力(じゅうりょく)の小さな小惑星の上でも跳(は)ね返(かえ)らないように、ターゲットマーカにはたくさんのビーズが入っているんだ。また、光を反射(はんしゃ)しやすい布(ぬの)で包(つつ)まれているから、とても見つけやすい。なかなかの優(すぐ)れものだ。


〔注3〕 イオンエンジン:電子レンジにも使われているマイクロ波で、キセノンガスをガンガン加熱(かねつ)すると、イオンという「電気を帯(お)びた粒子(りゅうし)」になる。このイオンに電圧(でんあつ)をかけると、「高いところにあるものが低(ひく)いところに落(お)ちる時」みたいに加速(かそく)されるんだ。こうやって作った秒速(びょうそく)30km(自動車よりも3400倍(ばい)も速(はや)いよ)のイオンを、ぽんぽんとはじき出す反動(はんどう)で、ぼくの向きや速さが変わるんだ。


〔注4〕 化学推進(かがくすいしん):燃料(ねんりょう)と酸化剤(さんかざい)を混(ま)ぜて、燃(も)やすことによってシュッと噴(ふ)き出すタイプのエンジン。たとえば、自動車のエンジンはガソリン(燃料(ねんりょう)のひとつ)と空気(酸化剤(さんかざい)のひとつ)を燃(も)やして動いているんだ。だけど、宇宙(うちゅう)では空気がないから、ぼくは燃料(ねんりょう)だけでなく、酸化剤(さんかざい)も持って行かなくてはいけないんだ。化学推進(かがくすいしん)エンジンは、一気(いっき)に大きな力を出せるけど、燃費(ねんぴ)はイオンエンジンよりずっと悪(わる)い。


〔注5〕 推進剤:ロケットや人工衛星(じんこうえいせい)を加速(かそく)させるための、燃料(ねんりょう)、酸化剤(さんかざい)、その他の物質(ぶっしつ)のこと。


〔注6〕 加速:ぼくは、地球のすぐそばをすり抜(ぬ)けることで、太陽の周りを回る地球の公転(こうてん)のエネルギーを、ほんのちょっとだけ分けてもらって速度(そくど)を上げたんだ。地球に近づく方向によって、加速(かそく)も減速(げんそく)も出来(でき)るんだよ。


〔注7〕 通信もゆっくり:どれくらいの通信速度(つうしんそくど)で地球と連絡(れんらく)をとれるかは、ぼくの向き、3種類(しゅるい)のアンテナのうちどれを使うか、そして、地球との距離(きょり)に影響(えいきょう)される。今は、イオンエンジンを吹(ふ)くために必要(ひつよう)な向(む)きを向(む)くことが重要(じゅうよう)だから、地球(ちきゅう)と通信(つうしん)しやすい向きを向けるとは限(かぎ)らないんだ。さらに、地球との距離(きょり)が離(はな)れると電波(でんぱ)が届(とど)きにくくなるから、一番遅(おそ)い時は8bps( ビーピーエス )(インターネットの通信速度(つうしんそくど)10Mbps( メガビーピーエス )と較(くら)べると、百万分の一の速度(そくど))で、地球にいる人たちとお話していたんだよ。


〔注8〕 スタートラッカ:ぼくのカメラでとった写真(しゃしん)の中の明(あか)るい点(てん)の位置(いち)と、星図(せいず)に載(の)っている星(ほし)の位置(いち)を見比(みくら)べて、自分の向(む)きを知(し)る装置(そうち)。


〔注9〕 明るさの変化:イトカワは細長(ほそなが)い形(かたち)をしていて、さらに回転(かいてん)しているから、見る方向(ほうこう)によっては明るくなったり暗(くら)くなったりしているんだ。


〔注10〕 コンドライト:地球(ちきゅう)によく落(お)ちてくる隕石(いんせき)の種類(しゅるい)の一つ。コンドリュールと呼(よ)ばれる、まるい粒々(つぶつぶ)が入っているんだって。大昔(おおむかし)に作られたそうで、太陽系(たいようけい)の惑星や小天体の材料(ざいりょう)に近(ちか)いと考(かんが)えられている。


〔注11〕 弾み車:ぼくは、からだの中で円盤(えんばん)をまわしている。つかまるところのない宇宙(うちゅう)で、この円盤(えんばん)を回(まわ)す速度(そくど)を速(はや)くしたり遅(おそ)くしたりすると、その反動(はんどう)でぼくが回(まわ)るんだ。


〔注12〕 ミューゼスの海:正式名称(せいしきめいしょう)はMUSES-C Regio(ミューゼスシー領域(りょういき))なんだ。


〔注13〕 蒸発:「ぬれたままだと風邪(かぜ)をひくよ」ってよく言われるけど、あれは、服(ふく)や体(からだ)についた水が蒸発(じょうはつ)するときに、熱(ねつ)を奪(うば)うから、体(からだ)が冷(ひ)えて、寒(さむ)くなるよってことなんだ。ぼくのまわりは真空(しんくう)だから、ぼくの体(からだ)についた推進剤(すいしんざい)はどんどん蒸発(じょうはつ)してしまった。


〔注14〕 臼田宇宙空間観測所:うすださん:長野県臼田にある、直径64mの遠くまで電波を飛ばせるパラボラアンテナ。いつもぼくを見守ってくれている。


〔注15〕 軌道に乗り遅れ:イトカワと地球(ちきゅう)では太陽(たいよう)のまわりを回(まわ)るのにかかる時間(じかん)がちがう。だから、ぼくが地球(ちきゅう)に帰(かえ)るには、地球(ちきゅう)とイトカワがちょうどよい位置(いち)になるタイミングが重要(じゅうよう)なんだ。チャンスは3年に一回しかない。


〔注16〕 太陽光の圧力:地球の重力(じゅうりょく)や空気抵抗(くうきていこう)と較べてあまりにも小さいため、地球にいる人たちは実感(じっかん)できないけど、真空中(しんくうちゅう)で大きな太陽電池パネルを広げているぼくには、重要(じゅうよう)な力なんだ。


〔注17〕 壊れた電池:こわれた電池(でんち)、液漏(えきも)れのある電池(でんち)を充電(じゅうでん)すると、爆発(ばくはつ)することもあるので、みんなは絶対(ぜったい)にまねをしないでね。


〔注19〕 うっちーさん:内之浦宇宙空間観測所( うちのうらうちゅうくうかんかんそくじょ )の34mアンテナ。少しでも西にあることと、すばやい追跡(ついせき)はうっちーさんのほうが得意(とくい)なことから、最後(さいご)の通信(つうしん)は内之浦とおこなったんだ。



ぬりえ

好(す)きな色(いろ)でぬってね!

好きな色でぬってね!


 

はやぶさ

JAXA(ジャクサ)

宇宙(うちゅう)科学(かがく)研究所(けんきゅうじょ)

月(つき)・惑星(わくせい)探査(たんさ)プログラムグループ



デイジー図書奥付

書名 はやぶさ君(くん)の冒険日誌 2010 (ただいま!)

原本製作 JAXA 宇宙科学研究所 月・惑星探査プログラムグループ 小野瀬直美

デイジー製作完了 2018年10月

デイジー編集・校正 いちえ会 http://www.ichiekai.net/

製作ソフト ChattyInfty3 (AITalk版)

朗読音声 株式会社エーアイ AITalk3